INTERVIEW

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TAKE-SHIT其の三

12/01/30

ZERO MAGAZINEインタビュー!

COCOBAT!

TAKE-SHIT其の三!

高校を卒業し、新たなバンドに加入!

そこから音楽人生の歯車が好転しはじめます!


今回は!

当時の秘話、珍話を交えつつ、COCOBATよもやま話をたっっっぷりとお送りします!

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Z:
オリジナルのバンドを組むのっていつぐらいですか?

T:
高校を卒業して、MINO-5っていうバンドに誘われるんですけど、それがはじめてですね。

そのバンドのボーカル沖くんは、LIP CREAMやDEATH SIDEのツアーの運転手として地方を回ったり、ローディーをやってたんですよ。

皆にはジャジャユウと呼ばれていたかな。

沖くんとバンドをやるようになって、ライブのブッキングもHARDCORE方面が多くなってきて、自然と人脈が広がっていった感じですね。

当時はLAST BOMBの熊さん企画の時によく出させてもらっていました。

Z:
MINO-5では、ベースで?

T:
もちろんベースです。

Z:
ボーカル以外の他のメンバーは?

最初のギターはUNITEDのMARRRCHANで次がニューキーNORIくんも在籍していたCOMPLETEの濱田くん。

彼はその後、COCOBATのRYUJIくんとBACKBONEを結成して、現在はDAYMARE
RECORDINGSをやっていますね。

ドラムは最初はLAST BOMBの増田くんで、次がJERRY BEANSの田口くん。後半は濱田くんの知り合いの赤坂くんだったかな。

Z:
どれぐらい活動してたのですか?

T:
はじめたのが87年で、たぶん92,3,4?年ぐらいまで活動してましたね。

Z:
けっこう活動期間が長かったんですね。

T:
のんびり構えてやっていたんで(笑)。

Z:
それは音源として残ってるのですか?

T:
SELFISH RECORDSから1枚出てますね。

あと88年に一度オムニバスが出ていて、ENJOY YOUR YOUTHってやつだけど、その前年の僕と沖くんの初LIVEでは僕弾いていたけど、その時の録音は何故か僕が呼ばれなくて...

これには、当時凹みましたね。

他の友達達も皆コーラス参加してるのに...。

それで代わりに鉄アレイのカツタくんが弾いています。

その時のドラムはCHELSEAくん。

その時の曲はCHEALSEAくんが作ってたかな。

Death Sideでは使われなかった曲って言ってた覚えがある。

Z:
そうですか...

伝説のSELFISH RECORDS!

それは、なぜやめちゃったのですか?

解散?

T:
ちょうどCOCOBATをはじめるぐらいまでだったかな。

解散っていうよりは自然消滅みたいな感じに近いのかな。

でもCOCOBAT始めた後でも弾いてたかなぁ。

そのボーカルの沖くんは、スノーボードの事故で崖から落ちて亡くなってしまって。

Z:
そうなんですね...。

T:
たまにバンドまたやろうね、とかいう話はしてたんだけどね。

彼とは怪獣人形一緒に集めていて、普段でもよく一緒に遊んでいたから。

Z:
亡くなったのは最近ですか?

T:
いや、かなり前ですね。

だからバンドも自然と消滅した感じです。

Z:
COCOBATは何年からやってるんですか?

T:
91年ですね。

Z:
それはなぜCOCOBATをやろうと思ったのですか?

T:
高校を卒業してからいろいろバイトをするようになって、UK EDISONっていうレコード屋さんで働くようになったんですよね。

そこでもっと音楽を突き詰めるようにやりたいっていう人達と知り合うようになって、メンバーを集めたバンドがCOCOBATだったんですよ。

Z:
COCOBATはTAKESHITがリーダーですか?

T:
リーダーっていうわけじゃないけど、僕が軸になって人を集めた感じですね。

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Z:
COCOBATの名前の由来は何ですか?

T:
プロレスの技の名前がバンド名っていうのは今でも多いじゃないですか。

Z:
ええ、いますね。

T:
やっぱり僕も同じでそういう発想で名前を付けようと思ったんですよ。

ただ、みんなが知ってるような技がイヤだったんですよね。

ちょどそのその頃は80年代の終わりから90年代って感じで、HIP HOPやその元ネタのR&Bをよく聴くようになってたんですよね。

だから黒人への憧れもあって、黒人っていうイメージを絡めたかったんですよ。なんか、甘ったるい匂いのするような。

スラップベースにかなり猛烈にハマってた頃でもあったし。

黒人の要素もあって、自分の好きなプロレスの要素もあって、技の名前だけどレスラーマニアしか知らない隠語みたいなのを使いたいな...って感じで思いついたのが、Bobo Brazilという選手の技、COCONUTS HEADBUTT=COCOBATだったんですよ。

BUTTはBATと変えて、文字の並びにA、B、Cって、みんながよく使うアルファベットが入ってるし、語呂がいいんでその名前にしました。

Z:
なるほど、そういう由来だったんですね。

T:
あと、"ココ"って、ふつうだったらKOKOだけど、COCOって表記で"C"を使うのが甘ったるい匂いのココナッツっぽくていいなって(笑)。

Z:
COCOBATはすぐにメンバーが集まったのですか?

T:
UK EDISONは、西新宿にあってほんとにいろんな人が集まってたんで、メンバーは割とササッと決まりましたね。

Z:
曲はだいたいTAKESHITが考えてたのですか?

T:
いえ、基本的にはギターのSUZUKI君のギターリフや大体のリズム感を中心に作っていく感じですね。

歌はRYUJIくんが好きなように、ベースラインも僕の好きなようにって、組み合わさっていく感じでした。

Z:
GAS BOYSとの出会いは?

T:
たしか花園神社の脇のミロスガレージって所でやっているらしい!っていうのを当時のFineで見たのが凄く印象にあってミロスか芝浦inkstickで見たのがはじめてかな?。これもとにかく衝撃でした(笑)。WATER MARKETレーベル発足イベントかな?

当時のGAS BOYSの所属WATER MARKET<RHYTHM>と僕が働いていたUK EDISONは親元会社が一緒だったから。

情報は直ぐ入ってきていました。

PUNKROCK DJ HIKARUくんがベース弾いていたTOKYO SEX PISTOLSもこの日見た記憶があるなぁ。

とにかく"公衆便所"の歌詞のヤバさもそうだけどD.R.I.のギターリフサンプリングから始まるG.A.S.B.O.Y.Sを大音量で体感したらもう一発でやられますよ。

Z:
そういえば、GAS BOYSの上杉君のインタビューで...

『COCOBATと"公衆便所"をやってたんだけど、SUZUKIさんが途中からギターを弾いてくれなくなったんだよね』

って言ってましたよ(笑)。

代わりにローディーの人が弾いてたという。

『SUZUKI君、たぶんイヤだったと思うんだよね〜』って。

それには爆笑しましたね(笑)。

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T:
そんなことありましたね(笑)。

その時のローディー三井くんは、今やneighborhoodですからね。

GAS BOYSのエピソードでは、芝浦のINK STICKで"公衆便所"やってるときに、AV女優が裸で出たことがありましたね。

COCOBATの演奏している前に裸の女の人って、今じゃ考えられないですよ。

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Z:
それは、仕込んでたのですか?

T:
仕込んではなかったんですけど仲間の知り合いで来てて、いきなり脱いで出てきたっていう。

Z:
素っ裸ですか?

T:
たぶん、上半身だけ裸だったと思いますけどね。

Z:
それはかなり盛り上がりますね(笑)。

GAS BOYSとやるきっかけは何だったのですか?

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T:
GAS BOYSのライブを観て衝撃を受けて、僕から今井君に接触しに行ったんですよ。

ちょうどその頃、今井君はアメ横の靴屋で働いてましたね。

Z:
そうだったんですね。

"公衆便所"はめちゃくちゃ名曲です。

自分が最初にGAS BOYSを大阪へ呼んだときは、もうギター男さんがいましたね。

ギターは持ってるだけで、ジャックは刺さってなかったですけど(笑)。

だから、ギターを弾けないと思ってたんですけど、弾いてもらったらすごく上手くて。

そのときギター男さんは、レゲエのMCもライブの合間にやってましたよ。

T:
ギター男は何でもやってましたね。

僕がレコ屋の店員のとき、お店のインディーズチャート的なものをラジオ局に持っていったりとか、そういうアシスタント的な事もやってましたよ。

当時はインディーズバンドバブルでラジオやテレビでもインディーズチャートというものがモテはやされていたんですよ。

石丸元章さんとギター男がよく一緒にお店に来てましたね。

Z:
後に本になってますもんね。

ライブでGAS BOYSと一緒にやってたのは"公衆便所"1曲だけだったのですか?

T:
そうなんですよ。

GAS BOYSがライブをやって、最後の"公衆便所"のときに僕たちが出てきて、そこかCOCOBATのライブへと繋がってたんですよね。

Z:
へえ〜、そうだったんですね。

T:
たぶん、いちばん最初は代チョコかクラブチッタのMORE DEEPとか...。

SKATETHINGがEDITしたSKATE VHSの発売記念イベントかなぁ

Z:
出た(笑)。

あのHOUSEの人たちですよね。

T:
あの元メンバーの人のユニットm.o.v.eってちょっと前までアニソン界でもブームですごいですよね。

あの人たちと一緒にやったのを憶えてます。

その後は、ずっと代々木のチョコレートシティでYOU THE ROCKやPMX、CHIEKO BEAUTY、そういったメンツでやってましたね。

Z:
じゃあ、GAS BOYSとのライブは何回もやってるんですね。

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T:
けっこうやっているはずですよ。

91年の夏から92年の夏前ぐらいまでやってたと思います。

Z:
長い期間やってたんですね。

楽しかったですか?

T:
面白かったですね!

そういうことをやってる人って、まだいなかったですからね。

Z:
そういえば今井君が、TAKESHITは常に率先的にやってくれてたからね〜。

上半身裸になってくれて!って言ってましたよ(笑)。

それ、たしか『バカ&シロート』のPV撮影で友達みんなでコロンビアレコードの地下駐車場で輪になってモッシュ紛いな踊りとかした時の事かもね。

今井くんにはCOCOBATとGAS BOYS共演を快く受け入れてくれたり、僕のBUBKA/Break Max連載『たけ視点』を繋げてもらったりしてほんとに頭があがらないですね。

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Z:
"公衆便所"の曲自体はCOCOBATが考えたのですか?

T:
いえいえ、違いますよ。

Z:
もともとあった曲をカバーする感じで?

T:
そうですね。

Z:
他に当時の面白いエピソードとかありますか?

T:
DJバリK~ん君と僕と2人でCOCOBAT CRUNCHのHIP HOPテイストな感じのREMIXを共同録音作業した事があって、

その時のDJバリK~ん君の機材の扱いやバックトラックやネタの知識とかにプロの腕を見ました。

まだAKAIでシコシコやっていた時代ですね。

毎朝、王子の彼の家まで迎えに行きました...。

あと、当時のドラムのMATSUZAKI君と僕とで須永辰緒さんのオムニバス用の録音でIRON MAIDENのWrathchildって曲を録音した時も、なんか 今新しい事にチャレンジしているって感じがしていましたね。

古典ヘビィメタの楽曲にベースとドラムの生演奏+スクラッチノイズって91年当時日本では維新的な事だったんで。

え〜っと、あとその頃は僕がライブを企画してたんですよね。

レコード屋より以前にバイトで特設会場の施設組み立て解体する仕事してる時、電撃ネットワークの南部さんも一緒に働いてて、バンドのイベントで電撃ネットワークを呼んだら面白いだろうな〜って企画を思いついたんですよね。

その頃深夜番組に電撃が出始めていた頃だったし、僕達はこの音楽イベントに笑いと驚きが欲しかったし、お互いの目論みが一致したんですね。

ちなみにこの職場は劇団関係や東京のハードコアバンドの人達沢山働いていましたよ。

Z:
いいですね(笑)。

T:
NUKEY PIKES、GAS BOYS、COCOBAT、電撃ネットワークというメンツで(笑)。

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Z:
それはヤバいですね!

ちなみに自分はNUKEY PIKESに怒られたことがありますよ。

ライブにストリッパーを呼んじゃって(笑)。

T:
そんなことあったんですか(笑)。

Z:
はいっ!

他のバンドは...

RISE FROM THE DEAD!

CONCREAT OCTOPUS!

にSXOXBが飛び入りで出演してくれました。

当時はニューキーのメンバーももっと発想が柔らかかったんでしょうね。

T:
う〜ん、どうなんでしょう(笑)。

まあ、自分の中でそういったイベントをできたのは大きかったです。

バンドのライブに電撃ネットワークが出たのって、それがはじめてだったと思いますよ。

Z:
かなり盛り上がったでしょ?

T:
そりゃもう、盛り上がりましたね。

Z:
ですよね(笑)。

T:
ライブの最後に電撃ネットワークが出てきて、布団圧縮機使った人間即神仏やったり、口にさそりとか、おなら燃やしとか会場はすごいテンションでしたよ。

Z:
それ...

観に行きたかったですね(笑)。

TAKESHITは、けっこう企画もやってたんですね。

T:
最初の頃はやってましたね。

ファーストアルバムを出すまでは、自分で企画をやらないとライブができませんでしたからね。

だから、人がやらないようなことをやろう!って常に思って企画考えてましたね。

Z:
でも、そういうライブをやってたら、すぐに注目を浴びますよね。

いきなり満員で人がパンパンだったんじゃないですか?

T:
いや、そこまでではなかったんですけど、面白いことをやってるってことで、後にいろんなライブへ呼ばれるようになりましたね。

Z:
COCOBATのいちばん初期のメンバーってどういったメンツですか?

T:
RYUJI君、SUZUKI君、MATSUZAKI君、あと僕の4人です。

Z:
そのメンバーでは、どれぐらいの期間やっていたのですか?

T:
セカンドアルバムを出すまでは、そのメンバーでしたね。

Z:
ファーストアルバムって、レコーディングにどれぐらい時間をかけたのですか?

T:
3日ぐらいですかね。

Z:
やっぱりそれぐらいなんですね。

いろんな人に聞きますけど、みんな3〜4日で録っちゃいますね。

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来週はいよいよ最終回!

アルバムジャケットについてのPusheadエピソードや趣味のコレクションの話!

あのバンドやこのバンドとの話などなど...。

だけで終わるはずもなく!

ご用意してます、重要な質問をっ!

答えは来週です!

どうぞお楽しみに!!!

次回更新日は2月6日月曜日です!

TAKE-SHIT其の二

12/01/23

ZERO MAGAZINEインタビュー!

COCOBAT!

TAKE-SHIT其の二!

ザリガニ&プロレスに熱中した少年期を経ていよいよ高校へ!

ベースを握りしめた青年は、生まれてはじめてのステージに立ちます!

そこで目の当たりにした衝撃とは!?

思春期の心の琴線に触れた音楽話もたっぷりとお送りします!

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Z:
ベースは最初から指弾きだったのですか?

T:
まだ何も知らなかったんで、ピックを使ってましたね。

Z:
そうですか〜、じゃあ学園祭を経てバンドにのめり込んでいったんですね。

T:
そんな感じですね。

それで、

高校1年ぐらいのときかな、LOUDNESSは既に知っていたけど、日本語の物だと44MAGNUMの1stを聴いて、なんかかっこいいなって衝撃を受けたんですよ。

Z:
おお〜!

関西METALですね。

T:
高校1年から、激しい日本語のバンドもチェックするようになりました。

あと、僕が通ってた貸しレコード屋さんはマニアックな自主制作盤も扱ってて、GASTUNKとか 、EXCUTE,G.I.S.M.と溯って聴くようになりましたね。

聴きたい自主盤はなんでもそこに行けばありましたから。

Z:
GASTUNKは衝撃的ですよね。

T:
GASTUNKはヤバかったです。

あと、長島ナオトっていう同じプロレスファンで繋がった友達がいて、『毎度おさわがせします』
の後にやってた『夏・体験物語』っていうドラマで絶頂期の中山美穂とくっ付く役や、

南野陽子の時の『スケバン刑事』で総統役をやったりしてた俳優兼歌手なんですけど、

中学から高校にかけて彼からもいろんな音楽業界や芸能界の裏の事教えてもらってましたね。

彼はアイドル/アーティストとしては本田恭章、中川勝彦<しょこたんのお父さん>、などど同じ括り方される場合が多いんですけどね。

Z:
その人はHARDCOREが好きだったのですか?

T:
HARDCOREだけじゃなくて、音楽全般を教えてくれましたね。

Z:
地元が一緒だったのですか?

T:
彼は目白に住んでたんですけど、二つ駅またぐ位でまあそんなに離れてなかったんで。

Z:
それもまたすごい繋がりですね。

ところで、GASTUNKは聴いてみてどうでした?

T:
もう、衝撃!の一言です。

Z:
ライブも行きました?

T:
すぐにLOFTへ観に行きましたね。

Z:
白塗りの時ですか?

T:
その頃ですね。

だんだんレコードを買うようになって、UK EDISONに通うようになったんですけど、そこで前売りチケットを買ってましたね。

GASTUNKセカンドシングルの『Mr.Gazime』の発売記念の頃からライブを観に行くようになったのかな。

Z:
GASTUNKは見た目もすごいですもんね。

T:
ええ、ヤバいです。

Z:
やっぱり、METAL寄りのHARDCOREが好きですか?

T:
そうですね。

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Z:
GASTUNKのライブはどうでした?

T:
その頃のライブはインディーズブームが登り始めている頃で

LOFTもパンパンで、ほんとすごかったですよ。

Z:
一人で行ってたのですか?

T:
一人ですね。

Z:
80年代のHARDCOREのライブに一人で行くって...危なくないですか(笑)?

T:
GASTUNKのライブは暴れかたもすごかったけど、女性客も多かったしそんなに危険な感じはなかったですね。

Z:
基本的にライブは一人で行ってたのですか?

T:
だいたい一人ですね。

Z:
一人で行くのは気合いが必要ですよね。

T:
でも、そこまで怖い体験はなかったですよ。

まだ、あまちゃんで渋谷の屋根裏や新宿JAMのような場所には足を運んでいなかったので。

Z:
その辺の音楽で一番ハマったものは何ですか?

T:
HEAVY METALやHARDCOREを聴き漁るようになって、

それまではMOTORHEADが一番激しい音楽という感じだったんだけど、VENOMを聴かされて衝撃を受けましたね。強烈なインパクトでした。

そこで激しい音の具合の免疫が出来たんですが、外人だけでは物足りなくなってきて、その流れでG.I.S.M.、GASTUNK,GHOULと流れていくんですよね。

そこからはもうGAUZE,LIP CREAM,OUTO,WAR PAINTED CITY INDIANと止まらなくなりますよね。

Z:
なるほど、そこで日本のHARDCOREとはじめて触れるわけですね。

T:
はい。

あと高校生時代は新宿ツバキハウスに通ってましたね。

LONDON NITEは全く行ってなかたんですけど、HEAVY METALの日の方へは好んで行ってましたね。

お金がなかったからレコードはそんなに買えなかったんだけど、とにかくいろんな激しい音楽を数多く聴きたかったんで、DJがかける色んなタイプの曲沢山聴けて高校生の耳には十分すぎる分量でした。

Z:
HEAVY METAL NIGHTは誰がDJをやっていたのですか?

T:
伊藤政則さんとか、酒井康さんとか、大御所の人たちがやってましたね。

大御所の後の後藤サンペイさんの選曲が僕にはツボでした。

ここツバキではVENOM,TANK,MOTORHEADも超大音量で聴けたしMETALLICAの1stのかっこよさもここで聴いたり体感したのが後々まで体にしみ込んでいます。

Z:
じゃあ、どちらかというと、大御所じゃ無いDJのほうが良かったんですね?

T:
僕にはそうでしたね。

やっぱり定番な曲よりマイナーどころをかけてくれる人のほうが好きでした。

あと、当時の僕からしたら、ライブハウスよりもツバキハウスのトイレのほうが、外見が厳つい人同士のシリアスな、ドツキ合いというか喧嘩があったりして、高校生の僕には刺激的な光景でしたね。

あと新宿ツバキハウスの入っているビルの下の階は新宿伊勢丹の女子ロッカールームがあって、階段で上がっていくとロッカー室が込んでいる時とか皆階段で女子店員が堂々と私服に着替えていて、そんな光景を横目にツバキハウスに向かうんです。

Z:
ツバキハウスでいろんなことを経験したんですね(笑)。

それは高校何年生ぐらいですか?

T:
ツバキハウスに行ってたのは、1〜2年の頃ですかね。

学校のクラスのサーフィンやってるようなイケてるグループや、かわいい女の子グループの子達って、当時はもっぱら夜はDISCOだったんですよね。

僕も系統は違うけど、繁華街的夜の社交場的な所へ常に遊びに行ってるんだよ、って感じでそういう人達の会話にすーっと混じったりしてました。

Z:
(笑)!!!

いい感じですね。

T:
夜の遊びをしてる人達、イケてるグループの人達って、自分達のグループ以外の人間をちょっと見下すようなところってあるじゃないですか。

僕も夜は毎週そういう感じの所へ遊びに行ってるよ!

あそこの飯はどうこうって話しだすと、やっぱり接し方も変わってくるんですよね。

Z:
そうなんですね(笑)。

学生時代は、どういう人と友達になるかっていうのが重要ですよね。

継続してバンドもやってたんですよね?

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T:
はい、やってましたね。

Z:
じゃあ、学園祭は3年とも出演したのですか?

T:
ええ、多分出てますね。

たしか、高校3年生の一学期の時だったかなぁ、G.B.H.が初来日したんですけど、その頃はMETALよりHARDCOREのほうに興味が移ってましたね。

Z:
G.B.H.のライブは観に行きました?

T:
行きましたね。

Z:
東京はどこでやったのですか?

T:
僕が行ったのは、池袋にある豊島公会堂でしたね。

Z:
人は入ってました?

T:
ライブハウスよりもかなり大きめのハコだったんですけど、人がパンパンに入ってましたね。

勝手に忍び込んでリハーサルから見ていたんですけど、

GBHがBLACK SABBATHのPARANOID演奏しててHARDCOREとMETALは共存出来ていると、自分の中でなんかみょうに納得出来た瞬間でした。

あとそこで衝撃だったのが、ライブでみんながツバを吐くことでしたね。

"PUNKはツバを吐く"っていうのは、本で見たりvideoで見たり、話では聞いてたんだけど、G.B.H.の初来日の時のパンクス達のツバの吐き方は尋常じゃなかったです。

Z:
ツバを吐きまくりですか(笑)。

海外のアーティストをけっこう観に行ってたのですか?

T:
高校1年の頃は、Michael SchenkerやJudas PriestやScorpionsといった有名どころのライブを観に行ってました。

お行儀がいい感じのバンドですね。

Z:
G.B.H.が来て、CHAOS U.K.も来てましたよね?

T:
G.B.H.の後にCHAOS U.K.が来てましたよね。

でも、CHOS U.K.は行ってないんですよ。

そういえば、G.B.H.が来る前に、Dischargeの来日も決まってたんですけど、結局、来なかったんですよね。

たしかチラシまであったのに、それにはすごくがっかりしました。

Z:
その頃、TAKESHITがやってたバンドは、まだHARDCOREをやってないですよね。

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T:
HARDCOREを聴いてはいたけど、まだ演奏はしてなかったですね。

その当時で面白い話があって、これ後で分かった話なんですが、

その学園祭には高円寺にあるお店FUUDOBRAINのタケシ君が出てたんですよ。

ROCKY AND THE SWEDENやSWEATSでも活動していた厳ついかっこいいベーシストです。

まだ、タケシ君がHEADLESSというバンドでベースを弾いてた頃ですね。

他のメンバーが僕の通ってた学校にいたみたいなんですよね。

その学園祭でHEADLESSが僕らのバンドの後に演奏したんですけど、それがすごく衝撃だったんですよ。

僕らはショボいアマちゃんなコピーバンドやってんのに、年が変わらない彼らがもの凄くかっこいいことをやってる!というショックです。

しかも彼らはADKレコードからソノシートまで出しているんですよ。

Z:
コピーじゃなくて、オリジナルですもんね。

T:
HEADLESSを自分の学校の教室で観て、僕は今のバンドをやってる場合じゃない!って痛感したんですよ。

Z:
HEADLESSは、かなりかっこよかったですか?

T:
教室の中で見たインパクトは、そりゃもう、最高でした。

Z:
その頃、TAKESHITは何のコピーをやってたのですか?

T:
変なオリジナルとHEAVY METALのカバーをやってましたね。

Z:
基本はやっぱりMETALなんですね。

T:
演奏者としての軸にはMETALがありますね。

当時は、HARDCOREを演奏する奴っていうのが、ほんと周りにいなかったんですよ。

HEADLESSをやってた同じ学校の子ぐらいしか知らなかったです。

ただ、日本のHARDCOREを身近に見たり感じれる環境だった事は確かなんですよ。

僕らのバンドの練習場所は大塚、池袋のペンタスタジオだったんだけど、大塚ではADKレコードから出すバンド達が常にレコーディングしていたし 。

池袋ではLIP CREAMが練習していました。

関係ないけどあのヘビメタのXも池ペンで練習していましたね。

当時からドラムのYoshikiの個人練習の多さといったら尋常じゃなかったです。

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METALとHARDCOREを粉食した高校時代!

そして学園祭という花舞台へ!

立ったのはいいが...

そこで名実ともに自分たちを上回るバンドを観て大きなショックを受ける...。

しかし!

その苦い思いは糧となって、新たな道を突き進みます!

来週はCOCOBAT話をたっぷりお送りします!

次回更新日は1月30日月曜日です!

TAKESHIT其の一

12/01/16

ZERO MAGAZINEインタビュー!

今回のお相手は!?

GAS BOYS、須永辰緒さん、ときて...

この流れは必然!

鳩尾にえぐり込むナイフエッジチョッパーなスラップベース!

COCOBAT!TAKE-SHITのインタビューを敢行です!

意外な一面...いや二面...

いやいや三面!を見せてくれる貴重なインタビューとなっております!

いままであまり多くを語られることのなかった幼少〜青年期あたりのお話もてんこ盛りでお送りいたします〜!!

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ZERO MAGAZINE(以下Z):
今回はCOCOBAT TAKE-SHITのインタビューです。

よろしくお願いします。

TAKE-SHIT(以下T):
はい、よろしくお願いします。

Z:
みなさんにお聞きしてるんですけど、幼少時代はどういう風に過ごしてました?

T:
小学校は、周りと変わらないふつうの子供でしたよ。

ただ、高学年期になって、遠足に行く時とか個性を出そうとしてたかな。

ボーイスカウトに入っている正木くんとよく一緒に遊んでたんですけど、とりあえず水筒やベルトやバッグは軍モノを身に付けてました(笑)。

住んでた所がアメ横へチャリンコで行ける距離だったので、中田商店でそういうのを買ってましたね。

グリーンベレーというキーワードでパッチやバッジを買って付けてましたね。

Z:
なるほど、軍モノを(笑)。

T:
あと、小学生のくせに仲間内でCB無線が流行ってたんですよ。

Z:
はいはい、ありましたね。

あの大きいやつ(笑)。

T:
そう(笑)。

あれを遠足に持っていって、仲間としゃべってましたね。

夜もみんなで無線やってましたよ。

Z:
CB無線って、けっこう高いんじゃないですか?

T:
そうなんですけど、おこづかいやお年玉を貯めて買ってました。

Z:
すごいですね...(笑)。

ボーイスカウトにも入ってたのですか?

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T:
いや、入ってはないですね。

でも、ボーイスカウトが身に付けてるカーキ色の布物や、知識

(何十通りのひもの結び方など)にすごく憧れてたんですよ。

Z:
そういえば、GAS BOYSの2人もボーイスカウトに入ってましたね。

T:
たぶん、入ってますね。

同じ年でもボーイスカウトをやってる人はいろんなことを知ってて、入ってない人間からするとうらやましい存在でしたね。

Z:
そうなんですね。

ほかに、ハマってたことってありますか?

T:
生まれ育った所は、山や川といった大自然は全くなかったんですけど、近くに大きな植物庭園が何個かあったんですよね。

そこの池では、びんどう使ってタナゴ。

近所では一番でかい上野の不忍の池でザリガニ獲ったり雷魚をひっかけたりしてましたね。

ザリガニ獲りってふつうは川に獲りにいったりするじゃないですか。

Z:
まあ、そうですね。

T:
僕たちはそういった自然が周りになかったから、山手線の線路の横にある細い、汚水が流れてる水路とかで獲ってたんですよ。

普通はそんなとこにいないと思うけど、ドブ川(汚水の通路)はザリガニの宝庫でしたね。

Z:
ドブ川って...

すごいですね(笑)。

T:
電車がガンガン走ってる線路沿いのドブ川だったんで、いま考えると危ないですけど、その頃はゆるい時代だったというか、とにかくバシバシ獲ってましたよ。

たしか、隣の小学校のやつが触ってはいけない垂れ下がった電線を触って感電死した事件から、そこの場所に入りづらくなったんですよ。

当時の国鉄の駅員が血相変えてホーム飛び降りて追いかけてきましたからね。

Z:
なるほど、ごくごくふつうの小学生ですね(笑)。

自分もよくザリガニを獲りに行ってましたよ。

ザリガニはエサで釣ってたのですか?

T:
ええ、エサ釣りですね。

学年が上の人たちは、小魚やスルメイカを切ってそれをエサにしてたんですけど、僕らはお肉屋さんでクズスジ肉を買ってエサにしてましたね。

食い付きがぜんぜん違うんですよ。

Z:
自分の友達は、石の間に手を入れて、指に噛ませて捕まえてましたよ。

その人は一日に何匹も獲ってましたね(笑)。

ほかにハマってたものは?

T:
家から後楽園ホールが近かったから、町はプロレス格闘技のポスターだらけだったんですよ。
それでやっぱりプロレスと格闘技にハマりましたね。

Z:
小学生の頃からプロレスにハマってたのですか?

T:
そうですね。

プロレス格闘技が身近な存在だったんですよ。

家の壁にプロレスのポスターを貼るとチケットがもらえたんですよね。

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Z:
はいはい、そういうのありましたね。

T:
そういった流れで知り合いの家にチケットがよく回ってきてたんで、気軽にプロレスを観にいくようになりましたね。

Z:
自分はあまりプロレスに詳しくないんですけど、誰が好きでした?

T:
その頃はプロレス格闘技全般って感じでしたね。

あえてあげるとすれば ザ ファンクス のテリーファンクです。

ブッチャーシーク組との抗争期が一番好きなんですよ。

あとはテリーがシルベスタースタローンとやった映画『パラダイスアレイ』のあの時代のレスラーの感じが好きです。

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あの頃の格闘家なら ベニーユキーデ です。

後楽園ホールで開催されるものは、とにかく行けるだけ観に行ってました。

家の隣の坂では当時の極真最強外人だったウィリー・ウィリアムスが猪木戦の前に走り込み訓練してたりしたし。

巣鴨には黒崎健時の目白ジム、大塚には角海老ボクシングジムがあったから格闘家はそのへんでよく観ましたよ。

一時的ですが、アントニオ猪木の経営するお肉屋、アントンリブもありましたからね。

プロレス格闘技系出版社の日本スポーツ出版(ゴング)もありました。

この出版社から出るゴミを、レスラーの切り抜き写真目当てに夜中や早朝から漁っていましたから。

Z:
ふつうは会場で観るものですけど、すごい環境だったんですね(笑)。

自分も小学生のときにプロレスを何度か観に行った経験がありますね。

T:
友達の家の八百屋さんで当時最強のキックボクサー藤原敏男がいつも買い物してたりとか、
格闘技、プロレスが町に溶け込んでたっていうか、そういう環境だったんです。

Z:
ごく自然な流れで格闘技プロレスにハマっていったわけですね。

T:
そうですね。

Z:
どのぐらいのペースで観に行ってたのですか?

T:
後楽園ホールはプロレスでいう1シーズン毎に2〜3回ほど試合がありましたけど、全日本、新日本、国際、少しずれて旧UWFと各団体すべて行ってました。

Z:
年間にすると、相当な数観てたわけですね(笑)。

T:
はい。

考えると、とんでもない数ですよね(笑)。

あと蔵前国技館で行われるビッグマッチも欠かさず行っていましたし。

Z:
ずっと無料チケットで行ってたのですか?

T:
最初は無料チケットだったんですど、一番よく使った手は、友達が入院したときの担当の看護婦さんですね。

その看護婦さんは、プロレスの時だけ後楽園ホールの医務室で働いてたんですよ。

友達の入院を通じてその看護婦さんと仲良くなって、顔パスで通してくれるようになったんですよね。

Z:
すごいですね、それは(笑)。

裏技の裏技ですよ。

T:
それで、プロレスにハマると、だんだん選手の普段着の写真撮ったりしたくなったり、丁寧に書いたサインが欲しくなってくるんですよね。

会場でもサインをもらえてたんですけど、レスラーの泊まってるホテルまで行ったほうが、もっといろんなサインや写真を集められる!って気付いたんですよ。

だから中学生になると、レスラーが泊まってる所にも足を運ぶようになったんです。

そういうホテルって、プロレス以外に音楽公演で来日するタレントも泊まってたんですよ。新宿にある京王プラザとかですね。

最初はプロレスラーのサイン目当てで行ってたんですけど、横目にそういったおっかけ娘やグルーピーが群がる来日タレントも徐々に気になりはじめたんですよね。

レスラーのサインをもらうついでに、外タレのサインももらっとこ〜、って感じでサインを頼んでたんですけど、気がついたら外タレにハマってた(笑)。

そういえば沖雅也の飛び降り自殺の現場もこのホテルで、僕らが溜まってうだうだしている時だったから、この事件には僕らびびりましたね。

Z:
それは、すごいですね!

ちなみに誰のサインをもらったのですか?

T:
みんなが知ってるようなところだと、THE CLASH初来日の時のPaul SimononやIRON MAIDEN、あとDURAN DURANとか。

Z:
おお〜!すごいですね!

THE CLASHはもともと好きだったのですか?

T:
いや、中学生2年生位だからぜんぜん分かってなかったです(笑)。

後追いで聴くようになりました。

とりあえずサインをもらってから、本屋さんでMUSIC LIFEとか読んで、どういうアーティストか調べるって感じでしたね。

Z:
その頃のサインは今も持ってますか?

T:
家にありますよ。

Z:
どれぐらいあります?

T:
サイン帳が何冊かあります(笑)。

pt1-4.jpg

その頃、ちょうど学校でも洋楽が流行りはじめてたんで、同時進行で音楽を学びましたね。

僕が通ってた中学校は、上の先輩にSIMPLY REDにいたKenji Jammerがいたり、後輩にはKICK THE CAN CREWのMCU、ラッパ我リヤのQ、TAICHI MASTER、DJ TASAKA、といった人たちもいました。

Z:
それまたすごい学校ですね。

T:
このメンツが同じ中学校だから、何かやろう!って話をTAICHI MASTERやMCUとしてるんですよ。

Z:
それはかなり面白い企画ですね!

いちばん最初にガツンッ!とハマった音楽は何でした?

T:
何だろうな...

METALとかPUNKとかっていうジャンル分けの認識はなく聴いてましたね。

THE CLASHもIRON MAIDENも同時期に"外タレ"ってくくりで。

たぶん、音楽から入ってたらジャンル分けして聴く意識があったのかもしれないですけど。

Z:
音よりサインが先ですもんね(笑)。

T:
そうなんですよ(笑)。

サインや写真で得た"外タレ"っていう軸の中から、吸収してましたね。

そこが逆に音楽をジャンルレスに取り入れることができたと思ってます。

Z:
METALとPUNK、っていう意味でもCOCOBATに通ずるものがありますよね。

必然的にそうなっちゃいますよね。

T:
そうかも知れないです。

その後、高校生になるともっぱら楽器の話題でしたね。

Z:
楽器は高校生からはじめたのですか?

T:
高校1年の時からはじめました。

Z:
どういったきっかけで?

T:
やっぱり、学園祭に出たかったという理由で(笑)。

面白い話が、3歳から5歳位の時、隣に住んでいて何時も遊んでいた馬場くんという子がいて、幼稚園の頃には引っ越してしまい連絡も取り合っていなかったんだけど...

高校が偶然一緒になり、しかもクラスも同じで、楽器がなんでもこなせるロック少年になっていたんです。その馬場くん達のグループにバンド誘ってもらったんですよね。

そういう中で、学園祭に出る!って目標ができて、その流れで楽器を練習するようになりましたね。

Z:
いきなりベースをはじめた感じですか?

T:
はい、最初からベースです。

take91.jpg

Z:
なぜベースだったのですか?

T:
やっぱり、もともと楽器ができなかったから、一見簡単だし、

ベース弾くやついなかったので、お前はベースがいいんじゃない?的な感じです(笑)。

Z:
実はベースのほうが難しいですよね。

T:
奥が深いです。

Z:
ベースからスタートする人って多いですよね。

OUTOの克己君も、もともとベースだったんですけど、『ギターのほうがモテるからギターや!』
って言ってましたね(笑)。

学園祭は何を演奏したのですか?

T:
オリジナルもちょっとあったかも知れないですけど、ほぼコピーでしたね。

その年代だとDEEP PURPLEとかUFOとかTHE WHO、そういうのをカバーしてました。

Z:
上手くいきました?

T:
いってないと思いますよ(笑)。

学校でバンドをやってるってだけで、ステータス的にOKな頃だったんで。

とにかくバンドをやるっていうのが目的でしたね。

pt1-3.jpg


軍モノを身に付け、CB無線を肩にさげ、ザリガニ獲りに興じたサバイバル少年時代!

そして、プロレスに熱中し、"外タレ"というものを意識しはじめます!

海外の音楽に目覚めるうえで、"音"より"外人"のサインが先行していたことに驚きです!

来週は青春の高校時代にフォーカスします!

どうぞお楽しみに!!!

次回更新日は1月23日月曜日です!

イベントのインフォメーションです!

『 doubble T front presents 』

tong pain & takeshit

2/10 @頭バー 18:00-5:00

http://www.zubar.jp/

頭バー : 渋谷区東2-24-1 TEL 03-5774-4708

須永辰緒其の四

12/01/09

ZERO MAGAZINEインタビュー!

須永辰緒さん、いよいよ最終回!

自身のレーベルの話や、JAZZの解釈、最近の活動などについてもいろいろ語っていただきました!

もちろん!

ZERO MAGAZINE的に避けては通れない、あのグループとのエピソードもあります!

最終回も存分にお楽しみください!!!



Z:
ECDさんとはどれぐらいの期間、一緒にやってたのですか?

T:
え〜っと、彼がavexに入る前ですから、3年ぐらい一緒にやってたかな。

MAJOR FORCEの頃、石田さんはECD名義だったので、その後だったと思います。

ECD & DJ DOC HOLIDAY名義で作ったのは、1曲しかなくて、高橋健太郎さんプロデュースの『Tokyo Disc Jockey's Only』に収録されているヤツだけですね。

他に、TOKTO No.1 SOUL SETや福富君の楽曲なんかが入ってたコンピレーションです。

Z:
はいはい、ありましたね。

T:
MAJOR FORCEでは、ECDとDJ DOC HOLIDAYは別々に参加してますからね。

Z:
ECD & DJ DOC HOLIDAY名義では、そのコンピレーションの1曲だけなんですね。

T:
活動歴が長い割には、音源を作ってなかったね。

Z:
その後ぐらいに、GAS BOYSのプロデュースをはじめるんですよね?

T:
まず、TOOLS BARで開催してた"Club of steel"に、MUROやDEV LARGE、YOU THE ROCKやBOY KEN、BBPクルーなど遊びに来てたんですけど、そこにGAS BOYSもいたんですよ。

みんな毎週来て遊び狂ってましたね。

その頃、俺はMAJOR FROCEから作品を出してて、スチャダラパーもデビューしたぐらいの時期だったかな。

同時期にやってたGAS BOYSやYOU THE ROCKも、すごくおもしろかったんで、MAJOR FORCEに出してくださいってお願いしたんですよ。

自分がプロデュースしてどうこうじゃなくて、とにかくいいアーティストだからってことでね。

でも、MAJOR FORCEの見解としては、まだ音源を出す実力には至ってない、ってことだったんですよ。

それならばと、付き合いのあったナツメグレーベルに話を持ちかけたら、自分でレーベルをやったらどうですか? ってことで、やらせてもらうことになったんですよね。

Z:
Rhythmですよね。

T:
そうです。

最初はレーベルっていっても、何をどうしていいのか分からない状態だったので、DUB MASTER X宮崎さんやエマーソン北村さんといった先輩の方々から助言を受けつつ、手探りで進めていきましたね。

そんな流れで、TOOLS BARに集まった連中を中心にリリースをしていくんですよ。

まずGAS BOYSを出したい、っていう思いが強かったですね。

"公衆便所"という曲が世に受け入れられるのかどうか?

っていうのを試したかったんですよ(笑)。

Z:
"公衆便所"はGAS BOYS CLASSICですよね。

T:
とにかく"公衆便所"っていう曲を出したくて、作ったんですよ(笑)。

Z:
COCOBATとやってますよね?

T:
あれはたしか新宿のUNIONかどっかでCOCOBATの坂本君と知り合ったのかな?

それでライブを観に行ったんですよ。

彼はすごいベースじゃないですか。

Z:
そうですよね。

T:
こんなすごい子がいるんだ!って思って衝撃を受けましたね。

ちょうどその頃にGAS BOYSとCOCOBATも仲良くなってたんですよ。

彼らもスケーターのシーンでモッシュとかやって暴れてましたね。

俺はもうモッシュできる年齢じゃなかったですけど。

Z:
辰緒さんは、その頃おいくつでした?

T:
30歳になってるか、なってないかぐらいですね。

他に、VOLUME DEALERSやNUKEY PIKESとか、その頃はそういったスケーター系のライブをよく観に行きました。

GAS BOYS自体もそういったシーンとの交流が強まっていきましたね。

Z:
先日、当時のフライヤーを今井君に借りたんですよね。

NUKEY PIKESと、GAS BOYS、あと大阪からR.F.D.といったメンツで代々木チョコレートシティかどっかでやったと思うんですけど。

T:
ああ、それは俺企画のヤツだね。

Z:
そうですよね。

T:
もうちょっと大きなハコで、そのメンツ+電撃ネットワークっていうのもやったことありましたね(笑)。

なかでもVOLUME DEALERSがいちばん好きでした。

自分のソロアルバムで1曲やってもらったぐらい好きです。

サイケデリック・ハードコア!これ、造語ですけど。

Z:
VOLUME DEALERSはヤバいですよね。

そういえば、3年ぐらい前にテツロウ君に会ったんですよ。

それから久しく会ってないですけど。

そのときVOLUME DEALERSが復活してて、ライブを観ましたよ。

T:
へえ〜、そうなんだ。

それで、レーベルをはじめてからは、自分で好きに出せるようになったんですけど、当時はまだ出せるレベルのアーティストが、そんなにいなかったですね。

そういう意味では結局、MAJOR FROCEのジャッジは正しかった、ってことになるんだけど、俺みたいに儲けなしで広げていくっていう動きがなかったら、次に繋がっていかないじゃないですか。

Z:
たしかに、そうですね。

T:
そういう動きがあるからこそ、目指す人が出てくると思うんですよね。

Z:
じゃあ、"公衆便所"を世に出せてよかったですね。

T:
そうだね、あれはよかったです。

Z:
やっぱりあの曲は、すごいですよ。

アナログをもらったの憶えてます。

T:
俺、あのアナログ持ってないかも。

あーゆーのって、人にあげてるとなくなっちゃうんだよね。

Z:
GAS BOYSとはいろんなことがありましたよね?

T:
まあね。

後から考えるとすごく分かるんだけど、あのときは怒り狂ってたし、自分の無力さが、ほんとうにイヤになってましたよ。

DJをやめたぐらいでしたから。

Z:
え? そうなんですか?

T:
うん。

当時は、こういう世界で生き残っていくためには、綺麗事だけじゃ済まない。

男としてやっていけない世界だなって思ったんですよ。

そんならDJをやめて別の仕事をやろうって。

考えてみるとね、ヤツらは俺の恐怖政治から亡命したいだけだったんだよね(笑)。

被害者。

Z:
実はGAS BOYSの面々に、そのあたりのことを聞いたんですよ。

彼らはメジャーから出すことをナツメグの社長さんに伝えて、辰緒さんにはどういう流れでお話すればいいですか?って聞いたら、

『じゃあ、辰緒さんには俺から言っとくよ』

って、社長さんに言われたらしいんですよ。

それでメンバーも大丈夫だと思ってたみたいなんですけど、レコーディングするときに、

『やっぱり辰緒さんに直接伝えないとヤバいんじゃないの?』

ってことになって、誰が電話するかジャンケンしたらしいんですよ。

今井君が負けて、いざ電話してみると、辰緒さんにメジャーの話が伝わってなくて、これはヤバい......ってなったみたいで。

T:
俺がメジャー移籍を知ったのは、アルバムが出るって時だったんだよ。

それで怒り狂ったものの、これで会場に乗り込んでいって、大暴れしたところで、自分が惨めだなっていうかね。

暴れるよりは、こういう世界から抜けることを考えましたね。

ナツメグの社長が立ち回っていたのも後で聞いたけど、レーベルをやらせてもらった恩もあるし、メジャーにいくことによって今までのお金を回収したりとか、そういう事情もあるんだろうなって。

でもね、筋が通ってねえじゃん、って思ったんですよ。

今まで好き勝手やってきたのに、そういう大人の世界が見えちゃったのが、なんか厳しいな...って感じたんですよね。

そういうことを考えてると、DJをやるのもおもしろくなくなってきちゃって...。

どうしてもやめられないイベント以外は、すべてキャンセルしたんです。

高木完ちゃんと、MAJOR FORCEのK.U.D.O.さんと一緒にやらせてもらってたイベントだけは続けてました。

Z:
なるほど、そうだったんですね。

自分もそういった一件でモメてたって聞いたことがあったんで。

T:
モメてたっていうかね、イヤになっちゃったんだよね。

結局、GAS BOYSはメジャーで、いいプロデューサーの元でいい作品ができて、アルバムを3枚出したのかな。

雑誌のFineとかでも見るようになって、ほんとうによかったなって思いましたね。

Z:
その後、HIP HOPから遠ざかっていった感じですか?

T:
HIP HOPは相変わらず好きだったけど、だんだん趣味が変わってきて、ネタ元のFUNKやJAZZにハマっていったんですよ。

『ULTIMATE BREAKS & BEATS』ってあったでしょ?

あれの影響が大きかったですね。

BLACKだのWHITEだの関係なく、FUNKだのPUNKだの関係なく、オリジナルのスタイルがD.I.Y.なんじゃねーの?

っていう風に頭が柔らかくなってきたんですよね。

時を同じくしてHIP HOPでは、プロデューサーのEASY MO BEEが出てきたんですよ。

EASY MO BEEの音を聴いて、今後のHIP HOPの音はこうなるんだろうなって思ったら、興味がなくなっちゃったんですよ。

サンプリングに規制がかかった時期と合致するんだけど、EASY MO BEE以降は音が太すぎるんだよね。

もともとは、サンプリングして人の曲を切り刻んで、おもしろおかしいことを、よく言えば「デュシャン」的なHIP HOPだったのに、いかに太い音を出せるかみたいな、趣味とは無縁の方向に進んじゃったでしょ?

自分のなかのPUNKなHIP HOPじゃなくなっちゃったんですよ。

Z:
たしかに、そうなってますね。

HIP HOPの音源自体、オリジナルの楽曲になっていきましたもんね。

T:
そうなんだよね。

あとは、スキル勝負みたいになってるしね。

俺は、そういったことにもあんまり興味がないんだよね。

Z:
そういうのがあって、元ネタのほうにハマっていったんですね。

T:
どっちかっていうとね。

その当時は、今よりまだ面白いHIP HOPがあったから聴いてたけど、HOUSEはまったく好きになれなかったね。

Z:
自分がその何年か後に辰緒さんに会ったときは、お洒落な感じになってました。

T:
そうでしょ(笑)。

みんなによく選曲がお洒落だって言われるけど、今まで話したような経緯があって、そういう風になっちゃってるから実は筋金入りのPUNKなお洒落ですよ。

スタイルがPUNKってことは、オリジナルってことです。

そこが自分のスタンスのモチベーションになってる。

誰もやってないことを、ダンスフロアで成立させてやる!ってことが、俺のPUNKですね。

決して気取ってるつもりはなくて、結果、お洒落になってるだけのことです。

今はJAZZだけで勝負するっていうのが、俺のスタイルですね。

そんなことを強く思ってます。

Z:
最近の活動はどんな感じですか?

T:
相変わらず人の曲の世話をしたり、REMIXやプロデュース、あとは自分の名義でカバー集のアルバムがリリースされたり、コンピレーションの『夜ジャズ』の新作も出てますね。

『夜ジャズ』はさらにしばらくシリーズでリリースされます。

DJは東京と大阪でレギュラーが4本かな。

今は好きなことしかやってないですね。

Z:
イチオシのバンドとかありますか?

T:
う〜ん、なんだろうな...あるけど最近リリースしてないからな。

相変わらずのフェイバリットは、Lou ReedとPublic Enemyですね。

そこからずいぶん距離をおいてJAZZのミュージシャンとかがいたりするけど、いま話した2つのアーティストは、自分の中でずっと変わらないです。

Z:
やっぱり、Public Enemyは、いちばん好きなんですね。

T:
ええ、Lou ReedとPublic Enemyは永遠のフェイバリットですね。

Z:
もう、HIP HOPのDJはやらないのですか?

T:
たまにHIP HOPでやってくれって言われてやりますね。

この前もHIP HOPのMIX CDが出たんですよ。

Z:
ええ、ありましたね。

かなり話題になってました。

T:
HIP HOPでやれって言われればやるけど、いまはHIP HOPのおもしろいDJがいっぱいいるから、わざわざ俺がやらなくてもいいかな(笑)。

Z:
自分はたまにイベントやってるんで、ぜひオファーしたいんですけど(笑)。

辰緒さんの違う一面を見たいといいますか。

T:
じゃあ、考えますよ。

"須永辰緒UK"じゃダメ?

Z:
あ、PUNKでもいいですよ!

それやってもらえます?

T:
ええ、いいですよ。

ベースも持っていきますよ(笑)。

Z:
JAZZじゃない辰緒さんをオファーしてみたいんですよ。

T:
Oi PUNKでよければやりますよ。

Z:
それは熱いです!

ぜひ、よろしくお願いします。

今日はありがとうございました。

T:
はい、どーもです。



いまでは薄れてしまったDJの師弟関係......。

そこで培われた反骨精神がPUNKであり、JAZZにせよ、HIP HOPにせよ、既存のものを打ち砕いて進むことがPUNKというスタイルだと痛感しました!

辰緒さんが語った、

"誰もやってないことを、ダンスフロアで成立させてやる!ってことが、俺のPUNKです"

というフレーズが印象的でした!

ZERO MAGAZINEでも"須永辰緒UK"でスピンされる日を楽しみに、今後もお送りしていきたいと思います!


次回更新日は1月16日、月曜日です!

須永辰緒其の三

12/01/02

ZERO MAGAZINEインタビュー!

須永辰緒さん、其の三!

CLUB黎明期から活躍する先輩方の元、

下積み時代を経てようやく自身がオーガナイズするパーティーが始動!

はたしてその中身とは!?

さらに!

ECD & DJ DOC HOLIDAYツアー珍話なども交えながら、盛りだくさんでお送りします!



Z:
自分がかけたい曲をプレイできるようになったのは、いつ頃からですか?

T:
青山のTOKIOを経た後には、HIP HOPがかなり好きになってましたね。

まあ、PUNKをかけれないからHIP HOPで代行した、みたいな感じでしたけど。

TOKIOの次は、違う店に行かされたんですよ。

ヘルプ制度というものがあって、いろんな店でやりはじめたんですよね。

その頃は、LONDON NITEがあったけれども、並行して六本木でJUNGLE GYMっていうイベントもはじまってたんですよ。

JUNGLE GYMっていうのは、ツバキハウスのスターだった高木完ちゃんと、藤原ヒロシさん、師匠のビリー北村さん、大貫憲章さん、といったメンツで、各々が好き勝手に曲をかけ合うっていうものでした。

DJ個人個人のキャラクターが立っている最初のイベントでしたね。

すごく人気を博したイベントで、藤原ヒロシさんはHOUSEをかけて、完ちゃんはHIP HOP、北村さんと大貫さんはLONDON NITE CLASSICみたいな感じでやってました。

若い子たちも楽しんでたし、俺も、こういうスタイルって新鮮でかっこいいな〜って思って憧れてましたね。

Z:
すごい時代だったんですね。

T:
それで、俺が新しく入ったハコでも似たようなイベントをはじめたんですよ。

JUNGLE GYMのメンバー4人に続く2番手グループ的なメンツでスタートしたんですよね。

PUNKのDJがいて、DischargeやNapalm Deathを専門にかける男がいましたね(笑)。

Z:
それは誰なのですか(笑)?

T:
杉山っていいます。今は代理店かな?のサラリーマン。

ほかに、HOUSE系のジャンボ、あと俺の同級生でマサミがいました。

今は六本木でSONORAというクラブをやってます。

マサミは、俺の入り損ねたツバキハウスで、ずっとDJをやってましたね。

あいつは、ちゃっかり後がまに納まりやがってましたね(笑)。

Z:
辰緒さんが横浜で苦しんでいるときに?

T:
そうそう。

俺が横浜で苦しんでいるときに、あいつはツバキハウスで遊んでた(笑)。

ちょうど、俺がTOKIOに入った頃に、マサミはビリー北村さんに弟子入りしてツバキハウスに入ったんですよ。

だから、弟子筋としては、俺の後輩にあたるんですよね。

とにかく、何が何だか分からない音楽の異種格闘技戦みたいなイベントをはじめたわけですけど、初回でキャパ500人の所に1300人ぐらい来たんですよ。

Z:
ええ〜!

すごいですね。

T:
たぶん、ニーズがばっちり合ったんだろうね。

みんながそういうイベントを求めてたんだと思います。

俺はそこでHIP HOPをかけてましたね。

マサミは、PUNKを抑え気味にしてDISCOをかけて、JUMBOがHOUSEをかける、そうすると必然的に俺がHIP HOPになっちゃったっていうか。 

Z:
空いてるジャンルは、そこになりますよね。

T:
実は俺、第1回目のDMCの予選にも出てるぐらいですから、スクラッチもそこそこできたんですよ。

あ、サブDJにスケシンとかレッドとか居たか。

レッドってグレイシー柔術の日本人初の師範になって、今は洋服屋で儲けてるって聞いたな。

先輩思いの良い奴です。

そして、もっと個性が欲しいなって思ってた矢先に、原宿のMonkberryというCLUBに雇われるんですよね。

いま考えると、そこでの経験が大きかったです。

まず、ツバキハウスで北村さんに弟子入りして、TOKIOでは当時、天才DJと呼ばれてた由井さんという方の技を吸収し、そして、MonkberryでDUB MASTER X宮崎さんとの出会いです。

その頃はイベントに、MUTE BREATのメンバーや、いとうせいこうさん、ヤン富田さんたちがよく遊びにきてくれましたね。

俺にとっては、ものすごく有益な場所でした。

人生のタームといってもいいかも知れない。

そこで出会った先輩方は影になり日向になり今でも良くしてもらってます。

頭の上がらない師匠達ですね。

そこでHIP HOPを完璧にマスターしました。

Z:
すごい感じですね。

T:
当時は、お店の経費で買ってるレコードってあったんだけど、HIP HOPばかりでしたからね。

パーティーに来ていたお客さんは、アパレルや美容師系が多かったですね。

いまのそういう系統の人たちって、しょーもないのが多いんだけど、昔はお洒落のために生きてる人たちばっかりだったから、音楽からファッションまで、すべてパーフェクトに成り立たてるスーパーマンばっかりだったから。

そしてみんな情報に貪欲でした。

そんなニーズに合って毎日賑わってました。

やがて、土地問題でMonkberryが閉店するかしないかの頃に、フリーのDJになるって宣言したんです。

それで食っていくって決めたんですよね。

俺はフリーのDJとしては、かなり初期のグループでしたよ。

1番目が大貫さんだとしたら、2番目が藤原ヒロシさん、そして3番か4番か5番目あたりが、俺です。

Z:
なるほど、そうだったんですね。

そういえば、辰緒さんはECDさんのバックでもDJをされてましたよね?

T:
それは、もっと後の話だね。

当時の西麻布には、TOOLS BAR、P.PICASSO、BUBLIN' DUBっていうCLUBがあったんですよ。

BUBLIN' DUBでは、荏開津広さんや小林径さんがDJをやってて、俺らはTOOLS BARでやってましたね。

TOOLS BARでは基本的にHIP HOPをかけてたんだけど、もちろんROCKも好きだからSKATE系のROCKをかけたり、FUNKやINUとか、いろいろかけてました。

ようやくそこで、はじめてパーソナルなパーティーができたので、自分の趣味を存分に出せたんですよね。

Z:
INUもかけてたんですね(笑)。

T:
もちろん(笑)。

それは"Club of steel "っていうイベント名だったんだけど、INUはまさに、Club of steel classicsですよ。

そのイベントで集まってくる人たちは、HIP HOPが好きだけどPUNKも好き、みたいなスケーターのお客さんが多かったんですよね。

どうしてここでRUN D.M.C.の後にINUがかかるのか、必然性を分かってるんですよね。

みんな、やっぱり盛り上がるんですよ。

そういう感覚が好きな人たちが集まってくるので、火曜日のイベントだったんですけど、毎回パンパンに人が入ってましたね。

Z:
HIP HOPはPUNK上がりの人が多いですもんね。

T:
そうそう。

Z:
逆に80年代にHARDCOREを聴いてないと、ヤバいみたいなところもありますし。

T:
まあね、80年代のHARDCOREを聴いてる人は信用できますよ(笑)

Z:
たしかに(笑)。

自分も同感です。

T:
だから、母体がPUNKの人のほうが、話をしやすいです。

DJでも聴いてりゃ何の種類の音楽出身なのか分かりますよね。

ただ単にHOUSEをかけてるだけでも、この人はBLACK MUSIC出身だな、この人はPUNKだな、っていうのがだいたい分かりますね。

作り上げるストーリーで自ずと伝わってきます。

Z:
そういうところありますよね。

それで、ECDさんとはじめるきっかけは、何だったのですか?

T:
ECDとはMonkberryの最後のほうで知り合ったのかな。

当時から不気味な感じで、最初は何も喋らずに壁に寄っかかって、音楽を聴いてるだけだったんですよ。

たしか、彼は"CHECK YOUR MIKE"っていうイベントでセルフで7inchかけて歌う、っていうスタイルでやってましたね。

イベントでも人気ものでした。

それで毎週、俺のイベントに遊びに来てくれるようになったんですよ。

そんな中、ある日突然、

『見習いでいいからDJをやりたい』

って言ってきたんですよね。

本人に話を聞いてたら、レコードもいっぱい持ってたんですよ。

ちょうど、俺も誰か一緒にDJやる人いないかな?って思ってたところだったんで、ECDとやるようになりましたね。

そのうちに、ライブDJも必要ってことになったんで、じゃあユニット的に一緒にやりますか、って流れでECD & DJ DOC HOLIDAYができたんですよ。

Z:
自分はそれを京都で観たことがあるんですよ。

T:
ああ、そうなんだ(笑)。

ECD & DJ DOC HOLIDAYでは京都に1回しか行ってないから、めちゃくちゃレアですよ。

Z:
Beatkicksも出演してましたね。

正直、その当時はDJ DOC HOLIDAYって、あまり知らなかったんですけど、東京の知り合いの先輩に、

『DJ DOC HOLIDAYは、ヤバいからやめたほうがいいぞ』

って言われたんですよね。

T:
そうなんだ(笑)。

Z:
分かりました!

みたいな(笑)。

T:
あの時はたいへんだったよ。

主催者が何のつもりか知らないけど、ホテルが取れなかったからここに泊まってくれって、ラブホテルを用意されたんですよ。

ECDと2人部屋ですよ(笑)。

Z:
ええ〜!!

T:
石田さん、どうします? ベッド回転とかしてみます?

なんて言って、ベッド回したりとかね(笑)。

Z:
ヤバいですね、それは(笑)。

その後に辰緒さんに会ったのは、大橋さんがGAS BOYSを呼んだときですよ。

SxOxBとかも出てましたね。

T:
あー、はいはい。

俺がTOTTSUANと大酔っぱらいした時でしょ(笑)。

ベンツ破壊したり。

Z:
それより、GAS BOYSのライブ終わりで辰緒さんが、めちゃくちゃに暴れてるのを見てびっくりしましたね(笑)。

T:
ええ?

マジで(笑)?

Z:
ライブ終わりで、GAS BOYSのメンバーが折りたたみイスでシバかれてましたよ(笑)。

T:
そうなんだ(笑)。

Z:
ライブはすごく盛り上がってたのになぜ?って思って、メンバーに聞いてみたんですけど、

『なんか辰緒さん、うれしかったみたいです!』

って。

どーゆー表現、それ?っ思いましたね(笑)。

20年ぐらい前ですけど、あの光景はいまだに忘れられないですね。

そのときに、辰緒さんとはじめて喋ったんですよ。

T:
へえ〜、そっか(笑)。

俺はね、君と仲良くしてるのを大阪の友達が見て、

『ヤバいもん見ちゃった......』

って言われましたよ。

ええ?いい人じゃん!って言ったら、

『あの人は、おそろしい人ですよ』

ってね(笑)。

あんな柔和な人なのに?って聞いたら、

『辰緒さんだからですよ。ほんとヤバいっすよ...』

って、やけに言われたよ。

Z:
ああ、そうなんですね(笑)。

T:
TOTTSUANとも最初から仲良かったから、俺は大阪の人と性が合うのかも知れないね。



TOOLS BAR、P.PICASSO、BUBLIN' DUB...。

西麻布のシーン形成の一端を担うべく、HIP HOPをマスターし、DJ DOC HOLIDAYはさらに活
躍の場を広げます!

次回はいよいよ最終回!

自身のレーベルの話や、音楽の趣向の変化......

そして!

GAS BOYSについての話!

来週も、見逃せません!!!


次回更新日は1月9日月曜日です!

須永辰緒其の二

11/12/26

ZERO MAGAZINEインタビュー!

須永辰緒さん、其の二!

見習いDJとしてキャリアをスタートした辰緒さん!

そこには予想を遥かに越える苦難の日々が待ち受けていました!

逆境に突き進む青春時代のエピソード!

今回も目が離せません!



Z:
最初、ビリー北村さんに弟子入りしたんですね?

T:
そうですね。

北村さんは、基本的にROCKABILLYが得意なんですよね。

俺自身も、いろいろ音楽を聴かせてもらっているうちに、速いPUNKからだんだんメロディアスなものが好きになっていったんですよ。

それこそ、ちょっと軟弱だなって思ってたThe Jamとか、Mods系の音楽とかね。

そういう音楽はR&Bが下地にあって、今の趣味にも繋がってくるんだけど、音楽を多く知ることによって、毎日センスが鍛えられいきましたね。

北村さんのROCKABILLYも聴いているうちに、いいなって思えてきて、ROCKABILLYのクルーに入ったりもしてました。

当時はPUNKABILLYって言葉がありましたけど、そっちのほうが妥当かな。

そんなこんながあったんだけど、俺ね、実はOi PUNKがいちばん好きなんだよね(笑)。

Z:
Oi PUNKですか(笑)。

たしかにPUNKな部分とキャッチーな部分が混ざってますもんね。

T:
Oi PUNKは肌にしっくりきてて、いまでも集めてますよ。

たぶん、Oi PUNKのレコードはLP、7inch含めて全部持ってるんじゃないかな。

Z:
特に誰が好きですか?

T:
Peter and the Test Tube BabiesとCockney Rejects、Anti Nowhere Leagueとか。

Z:
2年ぐらい前にCockney Rejectsが来日してましたね。

T:
俺は、ライブや演奏っていうよりはレコードなんだよね。

やっぱりレコードに執着してるんですよ。

Cockneyの7inchもコンプリートしてます。

いまでも1年に1回ぐらいPUNKのDJを頼まれることがあるんですよ。

そのときは"須永辰緒UK"って名前で、1時間Oi PUNK(笑)。

Z:
それは、メチャクチャ熱いですね!

ただ、日本のOi PUNKは怖いですね(笑)。

T:
日本のOi PUNKは怖いね(笑)。

でも、ヨースコーやポンさんみたいにやさしい人もいるけどね。

Z:
DJをはじめた頃はPUNKをずっとかけてたのですか?

T:
そうだね、PUNKしか知らなかったからね。

たまにNEW WAVEやROCKABILLYもかけてたけど、基本はPUNKです。

ほんと師匠のスタイルをそのまんまって感じでしたよ。

Z:
DJはツバキハウスでやってたのですか?

T:
ツバキハウスでは、ちょっとした見習いはできたんだけど、やがて師匠に言われて新宿のBoogie Boyっていう店に、DJ兼バーテンダーで働くようになったんですよね。

Boogie Boyは後に藤井悟やEMMA君を輩出する店です。

そこがDJキャリアのスタート地点ですね。

Z:
そのときは、20歳ぐらいですか?

T:
いや、まだ19歳だったかな。

Z:
バーテン兼DJっていうのも、大変ですね。

T:
そんなのは、大変なうちに入らないですよ。

客がいても、いなくても曲をかけてれば多少なりとも給料がもらえるわけですからね。

ほんとうに大変なのは、その次です。

Z:
次はどうなるんですか?

T:
横浜ですね。

Z:
横浜、ですか?

T:
ツバキハウスを運営してた会社がプロデュースすることになった横浜の店があったんですよ。

俺の師匠は、その店へDJを派遣するのを任されてたんですよね。

当時、横浜っていうのはメインがBLACK MUSIC、月に1回ROCKな日をやるってことになったんですよ。

そこでLONDON NITEもやってたんですよね。

Z:
はい。

T:
その派遣の一環で、横浜に行け!って言われたんですよ。

笹塚から横浜まで毎日通いましたね。

しかも、見習いっていう扱いだったから、ほぼ無休。

さらにほぼ給料も出ない。

Z:
ええ〜!

T:
半年間でしたけど、地獄のような日々でしたよ。

Z:
給料がなければ厳しいですよね?

T:
それよりも、PUNKをかけれないのが、いちばん辛かったですね。

BLACK MUSICを覚えなければいけないのも辛かった。

いわゆるブラコンとかFUNKとかです。

BLACK MUSICは、興味もなかったし、まったく知らなかったんですけど、先輩DJがかける曲を毎日メモするわけですよ。

それがキツかった。

お客さんがいない隙をみてPUNKをかけると、すぐに店員が飛んできて、

『おいDJ!BLACKをかけろ!BLACK!』

って言われるし。

俺は店員も含めて店のなかでもいちばんペーペーでしたからね。

とにかく地獄のような半年でしたよ。

Z:
見習い期間は長かったのですか?

T:
横浜で半年ですね。

Z:
そのBLACK MUSICの絡みでHIP HOPへ流れるのですか?

T:
そうです。

そこで唯一、これいいかもなって思えたレコードが、Def Jamの初期の作品と、RUN D.M.C.でした。

その辺は一応、店員もOKしてくれてましたね。

とはいっても、そればっかりかけるわけにはいかないから、早い時間や遅い時間のお客さんがあま

りいないタイミングでかけてました。

Z:
HIP HOPはどういう経緯で知ったのですか?

T:
お店にレコードがあったんですよね。

ほら、昔ってハコ側がレコードを持ってたでしょ?

何千枚もある店のストックから見つけたときに、この曲はいけるな......。

って思ったんですよね。

Z:
たしかにRUN D.M.C.なんかは、ROCKの要素も入ってますもんね。

T:
そうそう。

RUN D.M.C.を聴いて、これはもしかしたら新しいPUNKかも?

って感じたんですよ。

Z:
なるほど、PUNK精神を見いだしたんですね。

T:
たしか、RUN D.M.C.のファーストが出てすぐの頃でしたね。

Z:
もちろん、PUNKも並行して聴いてたんですよね?

T:
そりゃそうですよ。

本心はLONDON NITEでDJをやりたかったわけですからね。

PUNKかけたくてのDJなのに「何やってんだろ、オレ?」って。

『BLACKをかけろ!』

とにかくそればっかり。

なんだよ、BLACKって!

いまでもあの辺の音楽は嫌いですね。

寒気がします。

Z:
そうなんですね(笑)。

トラウマになったんですね。

T:
当時はBar-KaysとかCameoとか。

辛かったですよ。

Z:
FUNKもあまり好きではないのですか?

T:
まったくダメですね。

ただ、いまの音楽の分脈でいうデトロイトに繋がるドープなものとかコレクターでいうNorthernとか、そういったものを7inchで聴くのが好きなんだけどね。

それはそれで、D.I.Y.っていうか、PUNKな精神をすごく感じるんですよ。

だから、対極にあるショービジネスなBLACK MUSICは興味ないですね。

Z:
はい、よく分かります。

それで、横浜での見習いは半年でやめちゃったのですか?

T:
その横浜のクラブは、たまに東京からヘルプのDJが来るんですよね。

あまりに過酷な環境だったから、ずっとその人たちにSOSを出してたんですよ。

そのなかに、現テクノDJのMIKUさんっていう先輩がいて、

『なんだお前、まだここにいるのかよ。DJが腐るぞ』

って言われたんですよね(笑)。

Z:
はい(笑)。

T:
『俺が東京でDJやれるとこ探してやるから、待ってろ』

って言って、青山のTOKIOってDISCOを紹介してくれたんですよ。

ちょうど、そこのDJ枠に空きが出たんですよね。

そこはうってかわって外人しか来ないような場所でしたね。

しかも、バブル真っ盛りだったんで、とんでもない額のお金が飛び交っているきらびやかな場所でした。

Z:
またすごい所へ行きましたね。

T:
TOKIOは外国人のモデルとか、証券マンとか、六本木系の派手な遊び人とかね、

あと、お洒落なヤクザとそんな連中に群がるギャル。

そんな客ばっかりでした。

でも、そこはROCKをかけることができたんですよ。

逆にBLACKをかけても、まったくウケなかったですね。

ただ、ROCKはOKだけど、相変わらずPUNKをかけることができなかったです。

あとね、外人モデルっていっても、ニューヨークでバリバリやってるモデルじゃなくて、アイオワ州やユタ州からスカウトされて連れて来られたただの可愛い素人。

当時のニューヨークはParadise Garage全盛の頃で、ゲイ系の、シュッとしたDISCOが流行ってたんですよね。

そういう場所で遊んでる人って、ちょっと古めのDISCOやHi-NRGだったり、HOUSE MUSICの原型になるような曲で踊るんだけど、青山のTOKIOには、そういう外国人はいなかったわけですよ。

基本的にみんな田舎者でしたからね。

だから、とにかくU2でしたよ。

BLACK MUSICの次はU2地獄(笑)。

Z:
それもキツイですね(笑)。

T:
U2は、冷静に考えると嫌いじゃないんだけど、毎日、U2、U2、ばかり言われるとイヤになりますよ(笑)。

あとは、Cyndi LauperやHuey Lewisとかね。

とにかくアメリカンポップスの王道ですよ。

Z:
Huey Lewisはキツイですねノ(笑)。

T:
ほかに、MellencampやSimple Minds、Tears for Fearsとか...。

そんなのをかける毎日です。

まあ、BLACKばかりかけてた時より、まだ少しはマシでしたけど。

Z:
そこでPUNKはかけなかったのですか?

T:
そんな場所ではPUNKなんて誰も分かってくれないですよ。

そこにも先輩が何人もいたんで、早い時間ならかけれましたけど、誰も反応しなかったですね。

だから、自分の休みを火曜日に設定して、その日はLONDON NITEで仕事のうっぷんを晴らしてましたよ(笑)。

Z:
モッシュしまくってました?

T:
やりまくってたね。

俺はモッシュ無敗ですから(笑)。

一度も負けたことがなかったですよ。

そもそも仲間がみんな強かったですからね。

Z:
すごいですね(笑)。



BLACK MUSIC地獄に次いで、U2地獄!

表裏一体!

天国に思えるフロアの裏には、地獄が存在していました!

そのうっぷんを晴らすためのモッシュ(無敗)は、壮絶極まりないものであったと思われます!

次回は、DJ DOC HOLIDAYのお話を中心にお送りします!

来週も必読です!!!

次回更新日は来年、1月2日月曜日です!

須永辰緒其の一

11/12/19

ZERO MAGAZINEインタビュー!

今回のお相手は?

今もなお、その千里耳で選び抜かれたヴァイナルは、絶大なる影響力をもって、シーンへ新風を巻き起こす!

日本が誇るレコード番長といえばこの方!

須永辰緒さんです!

今回は!

JAZZの顔の裏側に潜む、熱きPUNK魂を剥き出して語っていただきました!

東京のCLUB創世記から現在に至まで、手に汗にぎるハードボイルドなインタビューのスタートです!

tatuosan1.gif

ZERO MAGAZINE(以下Z):
それでは、インタビューをはじめさせてただきます。

全員の人に聞いてるんですけど、辰緒さんがいちばん最初にハマった音楽って何ですか?

辰緒さん(以下T):
俺はね、子供のころからテレビを観なかったんですよ。

それよりレコードを聴くのが好きだったんですよね。

しかも最初から洋楽で、歌謡曲がどうも肌に合わなかった。

いちばん最初に、この人を一生聴きたいなって思ったのはLou Reedかな。

Z:
それは、おいくつの時ですか?

T:
小6か中1ぐらい。

Z:
Lou Reedを聴くきっかけは、何でした?

T:
とにかく熱心にレコード屋へ通って、洋楽を買い漁ってたんだよね。

当時は情報がなかったから、ヒットチャートを中心に選んでました。

それである日、レコード屋のおじさんが...

『そこまで洋楽が好きなんだったら、こういうのどう?』

って出してくれたのが、Velvet Undergroundだったんですよ。

聴いてみると、これがすごく良かったんだよね。

作られた洒落加減じゃなくて、Lou Reedの声が好きだった。

それでLou Reedを買い漁るようになったんですよ。

Z:
Lou Reedからどういった方向へ進むのですか?

T:
Lou Reedを聴くまではポップス好きだったんだけど、だんだんROCKにのめり込んで行きましたね。

Led Zeppelinとか聴いてた。

で、そうこうしてる内に、UKの情報が入ってきて、PUNKがだんだん話題にあがってくるわけですよ。

Z:
早くもPUNKが出てくるんですね。

T:
PUNKってなんだろうな?と思って...

SEX PISTOLSやTHE CLASHを聴いてみたんですよ。

それらは、わかりやすい音楽なんだけど、Lou Reedと比べると、なんか乗り切れないところがありましたね。

ただ、SEX PISTOLSよりはTHE CLASHが好きでした。

いま考えてみると、THE CLASHはREGGAEの要素もあったから、その辺に引っかかったんだろうね。

それと同時に、めんたいビートも流行ってきてたんですよ。

ちょうど高一ぐらいの時だったかな。

Z:
めんたいビートは、何にハマったのですか?

T:
その頃は...まあ、めんたいビートではないけど...

INU。

町田町蔵がダントツで好きだった。

元をたどると、THE ROOSTERS、THE ROCKERS、ARB、THE MODSといっためんたいビートのおかげでINUを知ることができたんだよね。

その頃は、こういった一連の流れや、日本にPUNKシーンがあることさえも知らなかったよ。

田舎には情報が少な過ぎた。

Z:
町蔵さんがINUをやってたのって、高校生ぐらいの時ですもんね。

そういえば、自分が通ってた学校の先生が、町蔵さんの担任の先生だったんですよ。

T:
へえ〜。

Z:
正式にリリースされてるのは、黄色いジャケットの『メシ喰うな』だけですよね。

T:
そうだね、他は海賊盤みたいなのばっかりですね。

あと、SxOxBとかを知ったのは、もっと全然後からだった。

そういえば、大阪でSxOxBのレコード買った思い出があるな。

なんていう名前のレコード屋だっけ?

PUNKが強いレコード屋。

Z:
TIME BOMBですか?

T:
だったかなあ?

堀江にあったんだよね。

Z:
じゃあ、違いますね。

TIME BOMBはアメ村ですから。

T:
アメ村よりもっと堀江のほうだったな。

四ツ橋筋のもっと先だったと思うんだけど。

まあいいや、とりあえずSxOxBのレコードを買ったんだよね。

たしか1万円ぐらいしたな。

Z:
ええ!?

初期のヤツですか?

T:
セカンドだったと思います。

Z:
そんなに高いんですね。

CDも、もう売ってないですよね。

ドイツのレーベルかどこかから、リリースされてたんですけどね。

ところで、THE ROOSTERSにもハマってたんですね?

T:
う〜ん、THE ROOSTERSがとにかく流行ってたんだよね。

ポップでわかりやすいじゃないですか。

ギリギリ、リアルタイムかどうかな?って感じだけど。

もう、その辺の記憶が曖昧だね(笑)。

ARBはリアルタイムじゃなかったね。

THE MODSは、それよりもうちょっと後だったのかな。

Z:
そういった中でも、INUが一番だったと。

T:
そうだね。

INUにすごくハマったな。

自分は高校2年の時にバンドをやってたんだけど、INUのカバーをよくやってましたね。

"つるつるの壷"のカバーとか(笑)。

Z:
それはヤバいですね(笑)。

T:
ベースを弾いてたんですよ。

Z:
PUNKをやってたのですか?

T:
まあ、めんたいビートみたいなのから、サイケっぽいのまで、いろいろだったね。

今でもたまに、レコーディングの時にベース弾きますよ。

Z:
へえ〜、そうなんですね。

なぜベースだったのですか?

ふつうは、みんなギターに走るじゃないですか。

T:
その辺は今の仕事にも繋がるんだけど、一歩引いたところの立ち位置が、自分の中でかっこいいと思ってたんだよね。

Z:
なるほど。

T:
全面に出していくよりも、ちょっと引いたところで睨みをきかせてるっていうか、そういうのが好きなんですよ。

Z:
バンドの要はベースとドラムって言いますもんね。

T:
DJっていう仕事もね、ベーシスト出身が圧倒的に多いんだよ。

Z:
そうなんですね〜。

そういえば以前、辰緒さんに会った時に、なぜDJをやりたいと思ったのですか?って聞いたら...

『DISCHARGEをかけたかったから』

って言ってましたよね(笑)?

T:
はいはい(笑)。

それはもっと後の話になってくるんだけどね。

やっぱり、ツバキハウスのLONDON NITEの存在が大きかった。

それまで田舎の子どもが知らなかった音楽をいっぱい聴けて、自分のPUNKの趣味もさらに広がっていきましたね。

まず、CRASSやDISCHARGE、NAPARM DEATHに熱中しましたよ。

速けりゃ速いほどいい!ってノリでしたから。

Z:
LONDON NITEでもDISCHARGEとか、かかってたんですね。

T:
かかってましたよ。

LONDON NITE自体は全体的にポップなんだけど、平日でお客さんのあまりいない時間にPUNKの好きな連中で遊びにいくと、DISCHARGEとかかけてくれるんだよね。

とにかくモッシュしてましたね。

俺は当時、専門学校に通ってたんだけど、ツバキハウスに行き過ぎて、単位が取れなくてクビになりましたよ。

Z:
えっ?!

学校クビですか?

それぐらい熱中してたというわけですね(笑)。

T:
ええ、夕方の5時に行って、朝の5時に帰るって感じですよ。

その頃のDISCOは、店内で食事をとることができたので、3食、DISCOで食ってましたよ(笑)。

Z:
(笑)!

当時のDISCOは入場料も高かったでしょ?

T:
高かったですね。

3000円ぐらいしたんじゃないかな。

そこはね、ほら、入り方もいろいろあるから。

テクニックがね(笑)。

Z:
テクニックですね(笑)。

DISCOに通ってたのは、何歳ぐらいの頃ですか?

T:
18〜19歳ぐらいかな。

Z:
ところで、辰緒さんは、もともと東京ですよね?

T:
生まれは東京なんだけど、ほとんど憶えてないんだよね。

出身は栃木です。

Z:
東京まで通ってたのですか?

T:
高校3年生の途中からツバキハウスに行くようになったんですよ。

学校が終わってからツバキへ行って、朝にそのまま学校へ行く、みたいな。

家に帰ってなかったですよね。

Z:
かなりヘヴィな生活ですね(笑)。

T:
いま思えばそうですね(笑)。

Z:
ツバキハウスに通うようになって、DJをはじめよう!って思ったのですか?

T:
大貫憲章さんやビリー北村さんを見て、DJやりたいなって思ったんですよ。

とにかく、お洒落だし、音楽いっぱい知ってるし、スターなんですよね。

音楽の力で1000人以上の客を熱狂させるわけですから。

DJingには分けの分からない凄いパワーを感じましたね。

でもその先輩2人は特別かっこよかった。

俺の師匠のビリー北村さんは、よく人を殴ってましたよ。

文句を言う客は殴る!っていう姿勢で、そんなところもかっこよかったですね。

Z:
そうなんですね。

お客さんは、やっぱりPUNK系の人ばっかりでした?

T:
ROCKやNEW WAVEの要素もありましたけど、自分たちはPUNK TIMEのモッシュにしか興味なかったですね。

Z:
はい(笑)。

T:
そこで何人殴れるかですよ(笑)。

PUNK TIMEが終わると、必ず2〜3人は血だらけで転がってましたね。

そこで負けないように、と。

Z:
目的がちょっと、アレですけど(笑)。

毎週、行ってたのですか?

T:
そうですね。

時間があれば行ってましたよ。

Lou Reedからはじまった音楽人生!

そして、INUから衝撃の鉄槌を振り下ろされた若き日の辰緒さんは..

ツバキハウスに常駐する生活がはじまります!

次回は、地獄のDJ見習い時代エピソードを中心にお送りします!

どうぞお楽しみに!!!


次回更新日は12月26日月曜日です!

MORIMOTO其の四

11/12/13

BREAKfAST!

森本君&Kemmy君インタビュー、いよいよ最終回!

BREAKfASTが考えるバンドの在り方と、今後の活動について!

みたいな話はほどほどに、いま楽しんでいる遊びなどを中心にお送りします!

そして...

森本君が沈黙を破りクラブデビュー?

BF10.gif

Z:
Struggle For Prideともよく一緒にやってましたよね?

M:
そうですね。

Struggle For PrideやAbraham Crossとかとよく一緒にやってました。

Z:
その3バンドで一緒にやってるイメージが強いです。

M:
仲良くなるバンドはless thanTVが中心になって広がって行きましたね。

基本的にWATTSってノルマなしだったんですよ。

もしあったとしても、谷口さんなんかは

『そんなの払わないっしょ!』って交渉してくれて。

それが頼もしかったですね(笑)。

だから、ぜんぜん知らない企画のイベントに出てノルマを払わされるよりは、WATTSでやってるほうがよかったんです。

Z:
けっこうノルマってあるんですね。

M:
そういうのがありましたね。

チケット何枚を買い取れとか...。

Z:
いらねーよ!って感じですよね(笑)。

M:
あとは、CHANIWAもよく誘ってくれてましたね。

Z:
CHANIWA初期のメンバーは、かっこよかったですね。

自分もメチャクチャ好きだったんですよ。

ドラムの人がOi-SKULLMATESにいく前で、ベースが女の人の頃です。

かなり衝撃を受けましたね。

ボーカルの声質がちょっとハイトーンな感じで最高です。

M:
かっこいいですよね!

当時CHANIWAがやっていた「BOOZ NIGHT」って企画によく呼んでもらいました。

あと「toxic punk waste」って企画にもよく呼んでもらってたんですが、その企画で対バンするようになってから

less thanTVの人たちとはどんどん仲良くなりました。

みんなでスケボーやるようになってからは、とりあえずライブが終わったらスケボーっていうのを繰り返してて、

これが永遠に続くんじゃないかな〜って思ってましたね(笑)。

でも30歳手前ぐらいになってですかね、いろいろ考えなければいけない問題が避けられなくなってきて。

Z:
森本君は、いま何歳ですか?

M:
もうすぐ36歳です。

そこから6年間、生活の荒波をザッパンザッパン受けて来ましたね。

もう慣れましたけど。

みんなそうだろうし。

泳げばいいや、みたいな(笑)。

もう、バンドやらなくてもいいかな〜って思った頃もありましたけど、いま落ち着いて考えてみると、やっぱり楽しいですね。

Z:
やったほうがいいと思うんですよね。

いろんな人にインタビューしてきましたけど、みんな絶対にやめるって言わないです。

やってない時期もあるけど、やめはしないですよ。

そこに魅力を感じるといいますか、気合いが入ってる!って思いますね。

M:
同じ事を続けているように見えても本人にとっては全然違ったりしますから。

バンドが行き詰ったとしても、続けていればバンドは変化していくし、それによって乗り越えられることがあると思うんです。

だからやめていく人には、やめんなよ!って言いたいですね。

バンドを続けるのが大変なときもあるけれど、そこを越えるとまたいろいろと楽しい事がありますから。

Z:
やっぱり続けてる人って強いと思いますよ。

何年か周期で、必ず波はきますからね。

M:
そうですね、やめずにやり続けるというのは大切な気がします。

Z:
悪い時があっても、必ず良い時がくるので。

M:
この間のFEVERでのライブは雰囲気がすごくよかったんですよ。

Z:
ありがとうございます。

M:
ああいうのは、ほんとにシビれます。

その1回のライブのために、1年間続けられるみたいな。

ライブはもちろんどれも楽しいんですけど、たまに信じられないぐらい楽しいライブってあるんですよ。

それが快感で抜け出せなくなるんですよね。

Z:
自分もそういう感覚を持ってやってます。

もう!

やってられるか〜っ!

て思うこともあるんですけど、また気がつくとやってる、みたいな(笑)。

『よかった!』って言われると、またやろう!ってなりますもんね。

M:
モチベーションはそこに集約されてますね。

Z:
この間のFEVERのイベントですけど、EGO-WRAPPIN'ってやっぱり名前が売れてしまってるじゃないですか。

それだけを観て帰るっていうイベントは、無きにしもあらずだと思うんですよ。

前売り券をファンの人で独占してしまって、メインのライブが終わったら帰る、みたいな。

でも

FEVERぐらいの規模で、ぜんぶ観てもらって、ぜんぶよかった!って言ってもらえるライブがあれば、

次もまた観にきてくれるし、初めてみたバンドのCDを買ってみようかなって思うかも知れませんよね。

この間のFEVERのイベントは、すべてのバンドにそれが届いたと思うんで、よかったなって感じてます。

M:
たしかに、素晴らしいイベントでした。

BF9.gif

Z:
ところで、Kemmy君はもう正式なメンバーなのですか?

K:
そうですね。

気付けばメンバーになってた感じです。

Z:
この間sun beam sunのCDを聴きましたよ。

すごくよかったです。

HARDCOREとはまた違った雰囲気ですね。

自分は古いROCKといいますか、ああいうのもよく聴いてるんですよね。

聴いてて気持ちいいです。

K:
ありがとうございます。

なんか家で聴けるみたいな感じですね。

Z:
そういったものも、好きなんですね。

K:
ギターとドラムがANGEL O.D.っていうバンドのメンバーで、そのギターの人が曲を作ってるんですよ。

Z:
dREADEYEは最近どうですか?

K:
ず〜っと変わらずって感じですね。

マイペースですよ。

この前、レコーディングしたんですよ。

Z:
どこからリリース予定ですか?

K:
自分で7inchにして出そうと思ってるんですよね。

Z:
それは楽しみです!

では、森本君、最近のBREAKfASTは、どんな感じですか?

M:
BUENA SUERTEというイベントでのライブが面白いです。amate-raxiというクラブにミニランプを出すイベントなんですが、そこでライブをするんです。

BREAKfASTが最初のメンバーでやっていた頃、友達のバンドがクラブで演奏する機会が多くなってきて、

友達も大勢観に行くし僕も誘われるようになったんですけど、

もともと僕はクラブが苦手だったんですよ。

Z:
HIP HOP聴いてたのに?

M:
HIP HOPを聴いてた頃はたまに行くことはありましたが、朝までっていうのがツラくて(笑)。

朝までこのハコの中でいなきゃいけないのか...っていうのが辛かった。

バンドのライブだと夜11時には終わってますからね。

Z:
そうですね。

M:
周りのバンドがクラブでライブをやるようになって、そこに関わっていたシーン全体がだんだんそっちへ広がっていって。

遊びもライブ以外のイベントに誘われることが増えてきたんですけど、僕は曖昧に断ってたんですよね。

そしたらある日ジョージ君に、

『ほんとに楽しいから一回千葉に来て!!!』

って強く言われたんですよ(笑)。

ジョージ君の友達、NOBU君が千葉でやってるFUTURE TERRORっていうイベントに行こうって誘いだったんですけど、その日は高円寺の20000Vでウチらもライブだったんですよ。

それを伝えたらジョージ君が、

『じゃあ、20000Vに迎えにいくし、帰りも送り届けるから来て!!!』

って言ってくれて(笑)。

ドアTOドアで帰られるなら行こうかなと思って。

Z:
ジョージ君、すごいですね(笑)。

ふつう、迎えに行っても、帰りに送り届けるまでやらないですよ。

ましてや千葉ですし。

M:
それで行ってみたら、これがびっくりするぐらい楽しいんですよ!こんな楽しい世界があったのかってくらい!

それからですね、楽しさを求めてクラブへ行くようになりました(笑)。

Z:
ジョージ君は帰りも送ってくれたのですか?

M:
ええ、きっちりと送り届けてくれましたね。

その後は、もう呼ばれなくても自分から行くようになりましたけど(笑)。

そうやってバンド以外の音楽でも楽しむようになってきたら、俺もそういう場所でライブがやりたい!

って考え方が変わってきましたね。

Z:
なるほど、クラブ解禁したんですね(笑)。

M:
解禁といいますか、昔のクラブのイメージとすっかり変わりました。

K:
最近、森本君のクラブでのはじけぐあいがハンパじゃないんですよ(笑)。

M:
そうなの?

その指摘、文字にされたら凄く恥ずかしいんだけど(笑)。

K:
それまでの森本君の印象とぜんぜん違いますからね。

まず、お酒を飲みはじめましたもん。

Z:
お酒を飲みはじめたのは、最近なんですか?

M:
最近ってわけじゃないんですけど、バンド始めた頃は飲んでませんでした。

ライブの時に他の人としゃべるっていうのも、そんなになかったんですよ。

楽屋で本とか読んでましたからね(笑)。

Z:
本を(笑)。

M:
ライブの時だけグワーッとやって、終わったら端っこのほうにいる、みたいな。

Z:
SOUL SETのBIKKEと同じ感じですね。

あの人も本を読んでますからね。

M:
静かそうなイメージがありますね。

Z:
しかも彼は音楽をまったく知らないという(笑)。

M:
僕もインタビューで読みましたけど、あれは衝撃でしたね(笑)。

Z:
あの人、もともとバンドマンなんですよね。

M:
へえ〜、そうなんですね。

Z:
サイケな感じだったらしいですよ。

初めて会った時は、ベルボトムのジーパン穿いてましたからね。

やってることはレゲエなのに(笑)。

なぜベルボトム?って聞いたら、

『俺、バンドやってたからね〜』

って言ってました(笑)。

M:
すごいすね(笑)。

Kemmy君も最初はよくライブに来てくれてて、面識はあったんだけど、まったくしゃべったことがなかったんですよね。

Z:
それが今やメンバーですね。

M:
まさかこんなに頼れる人材とは思ってなかったですよ。

Z:
急なツアーにも対応してくれるし(笑)。

それにしても、Kemmy君のギターってHARDCOREっぽくないですよね。

白いのが(笑)。

ARCTIC MONKEYSのボーカルの人も、真っ白のギターだったので、こんなギター使うヤツいる?って思ってたら、Kemmy君も使ってたという(笑)。

dREADEYEを観た時は、白いギターじゃなかったですよね?

K:
最近は、dREADEYEでも白いギターなんですよ(笑)。

Z:
いいっすね!

やっぱり白ですよ(笑)。

BF7.gif

M:
Kemmy君はメタリックなギターを弾くんですが、それが良いですね。

Z:
そうですね。

自分はdREADEYEでしかKemmy君の演奏を聴いたことがなかったんで、BREAKfASTを観て、ああいうのも弾くんだな〜ってびっくりしましたよ。

ギターソロとか超弾いてて、おおお〜!!!って感動しました。

自分はギターソロが好きなんですよね。

やっぱりギタリストはソロを弾けないとダメですよ。

K:
そうですね、やっぱり(笑)。

Z:
新生BREAKfASTは、かなりいい感じですね!

来年は、さらにはじけますか?

M:
う〜ん、このままっぽいですね(笑)。

いま、楽しくバンドができてますから、楽しい事だけ続けて行きたいですね。

Z:
なるほど、それが一番ですね。

M:
ウチばっかり楽しくていいのかな?っていうぐらい(笑)。

Z:
いいでしょう、それに尽きますよ!

M:
また新たな問題が40歳ぐらいで勃発するかも知れないですけど(笑)。

Z:
荒波が。

M:
ええ、ザッパザッパと。

Z:
その時はまた越えてください!

ぜんぜん大丈夫ですよ(笑)。

それでは、長々とありがとうございました。

M:
ああ、もうけっこうしゃべってるんですね(笑)。

Z:
はい、この1時間ぐらいがちょうどいいんですよね。

たまに3時間ぐらいになってしまう人もいるんですけど(笑)。

M:
じゃあ、これからも楽しい感じで続けます!

Z:
どうも、ありがとうございました!

BF8.gif

青春を駆け抜けたバンドは数あれど、10年以上駆け抜け続けているバンドはそういないです!

BREAKfASTは年を重ねるごとに、さらに輝き!さらに加速し!さらに飛び回ります!

『いろんなことを経て、行き着いた先に"楽しい"だけが残った』

こんな素晴らしいことはありません!

戦慄、攻撃、漆黒といった、いわゆるHARDCOREなキーワードと無縁なBREAKfASTですが、底抜けの明るさとポジティブな発想力で、もうひとつのHARDCOREを見せてくれます!

今度もさらに若返っていくバンドの逆行が楽しみです!!!

次回の更新日は12月19日月曜日です!

MORIMOTO其の三

11/12/05

今回もラフ&タフなアメリカツアー話を中心に、これは危なかったぞエピソード!

もお送りします!!

そしてインタビューはBREAKfASTのアルバムジャケットデザインの秘密に迫ります!!!

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M:
アメリカツアーでは、ライブをやる場所が治安の悪い所ばっかりでしたね。

Z:
どこを回ってたのですか?

M:
シカゴ辺りから入って、ニューヨークからフィラデルフィアくらいまで行って、また戻ってくるっていうコースでした。

Z:
ええ?

また戻るんですか?

戻らずニューヨークで終わってほしいですよね(笑)。

M:
少しの移動で2〜3回ライブやるぐらいだったら、楽しい思い出だけで終われたんですけどね。

なにしろ13日間で19回やりました(笑)。

ライブをやる場所は、黒人しかいない地域やヒスパニックの人しかいない地域が多かったから、東洋人ってだけですごくジロジロ見られて怖かったですね。

Z:
自分も昔、ブルックリンのフルトンモールでヤングB-BOY10人ぐらいに追いかけられたことありましたね(笑)。

M&K:
(笑)!

Z:
着いた途端にヤバい...

っていう雰囲気が漂ってたんですよ。

誰かついてくる...みたいな。

その時、女の子と行ってたんですけど、これは絶対に危ないってことで、とりあえず女の子に逃げろって言ったんですよね。

それで、女の子を逃がした瞬間に追いかけてきましたね。

そりゃ〜もう、メチャクチャ本気で走りましたよ。

なんとか逃げ切った思い出があります。

後々聞いたら、自分のダウンジャケットを狙ってたみたいですね。

M:
へえ〜、そうだったんですね。

Z:
THE NORTH FACEのダウンジャケットだったと思うんですけど。

それからは、危ない地域へ行く際には、FIRST DOWNとかの安物を着るように心がけてます(笑)。

彼らは、高価な服なんて買えないですから。

M:
そうですよね。

Z:
自分からすれば、日本で買うよりアメリカのほうが安く買えましたからね。

当時はTHE NORTH FACEは、きちっと日本に輸入されてなかったから、半額ほどで買えたんですよ。

400ドルも出せばエベレスト対応ぐらいのクオリティのダウンジャケットを買えましたね。

でも、やっぱりハーレム辺りで売ってる80ドルぐらいのFIRST DOWNにしなきゃダメだと思いましたよ(笑)。

ほんと真剣に追いかけられましたからね。

メチャクチャ怖かったですよ。

だぶん、捕まったらボコボコにされて、上着をはぎ取られてましたね(笑)。

M:
怖いですね、ブルックリン(笑)。

Kemmy君も最初はツアーのサポートメンバーとしてギターを頼んだだけだったんですけど、

怖い地域と過酷なライブのせいか、ツアーが終わったら妙な団結感みたいなものが生まれてきて

『俺たちやったよな〜!』

って、盛り上がってきたんですよ(笑)。

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Z:
そのツアーは、なんていうバンドと回ってたのですか?

M:
CONQUEST FOR DEATHっていうバンドです。

Z:
かっこええ〜名前ですね、それは。

むこうからオファーがあったのですか?

M:
そのバンドはメンバーがバラバラに住んでて、ドラムはキクちゃんっていう日本の人なんですよ。

Z:
ああ〜!

NOTHINKで入れ替わった人ですね。

M:
そうです、そうです。

ベースのケイスケがCHARMで一緒にやってるから、そこでアメリカ一緒に回ろうよって話になったんじゃないですかね。

Z:
それにしてもライブ19回、死にますね。

Kemmy君は海外で初のライブだったんですよね?

K:
僕は、BREAKfASTでの初ライブがアメリカだったんですよ。

Z:
そうなんですね!

日本でやらずに。

それもなかなかですね(笑)。

M:
そういう、やっちゃお〜よ!みたいなノリがHARDCOREにはありますね。

Z:
ツアーは儲けました?

M:
ギャラはそれなりに頂いたんですけど、夏だったから飛行機代が高くて厳しかったですね。

シーズンオフでやれば、けっこう儲かったんじゃないですかね。

Z:
夏は飛行機代が高いですもんね。

M:
四人分だとかなり違います。

帰国してからしばらくして酒井君が正式に辞めることになって、ツアーのメンバーでやって行くことになりました。

アメリカを回って高ぶった気持ちをそのままぶつけて作ったのが「Day after BREAKfAST」です。

新しいメンバーでの曲作りやレコーディングが新鮮で、それまでとはまた違うアルバムが出来て嬉しかったです。

Z:
この前のライブで、Kemmy君が入ってからのBREAKfASTをはじめて観ましたけど、明らかにサウンドが変化してますね。

M:
前のメンバーのBREAKfASTでは、がんばろう!みたいな思いがあったんですよ。

Z:
俺たち!がんばろう!みたいな(笑)?

M:
そうそう、バンドとして。

NUKEY PIKESとか、SxOxBとか、すごいバンドがいっぱいいましたから。

俺たちもそういう風になりたい!っていう気持ちが強かったんですよ。

メジャーでもインディーでも、とにかくビッグになりたい!って思ってました。

恥ずかしいけど(笑)。

Z:
SxOxBのメジャーは快挙ですよね。

LAUGHIN'NOSEやCOBRAもメジャーへいってましたけど、ポップな要素があるじゃないですか。

そういう部分で言うと、SxOxBの音でメジャーへいったのはすごいですよ。

M:
そうですよね。

BREAKfASTの中でもメジャーを目指してみる流れはあったんですけど、ドラムの陽君は、それはHARDCOREじゃない!っていう意見でしたね。

Z:
そこは絶対にぶつかりますよね。

M:
そのぶつかりもあったし、バンドを大きくするためにはどうすればいいか?といった新しい問題もあったから、その頃はちょっとキツかったですね。

そういう事があってから、それとは別の理由だけどベースの岡君とギターの酒井君が抜けて、

代わりにケイスケとKemmy君が入って、半分変わったそのメンバーでアメリカツアーして帰ってきたら、リセットされたみたいに妙にすっきりしていて、楽しい部分だけが残ってたんですよね。

楽しい部分だけが残ってるわけですから、何も言うことないです(笑)。

Z:
なるほど(笑)。

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M:
楽しい気持ちだけでできるなら、こんな良いことないじゃん!って思いました。

それからはバンドに対して肩の力を抜いて向き合えるようになりましたね。

Z:
HARDCOREって、そういうシビアな部分がありますよね。

売れたらダメになるとか、文句を言われるとか、他のジャンルにない葛藤がありますね。

M:
若い頃はそういう葛藤について考えたこともありましたが、その問題へ行く前に売れないといけないですからね。

そこが大変だと思ったし、その後感じた楽しい気持ちがあったからバンドを続けられました。

Z:
そういうことってありますね。

ところでKemmy君はBREAKfASTに誘われてどうでした?

K:
最初は、酒井君から電話があって、

『Kemmy君にやってもらおうかと思ってるんだけど、候補が3人いる』

って言われたんですよ(笑)。

ひとりは日本脳炎のまっつあん、もうひとりは銀杏BOYZのチン君、そして僕の3人だったみたいなんですよね。

その並びもすごいなって思ったんですけど。

まあ答えは、ああそうですか、としか言えなかったですね(笑)。

それで結局、他の2人は忙しいから無理ってことになって、僕に決まったんですよね。

M:
それまでのギャラやアルバムのお金で、バンドの貯金がけっこうあって渡航費はそこから出せたんです。

お金払って13日間で19回もライブするなんて、Kemmy君にとってキツイだけになっちゃいますから(笑)。

Z:
またSxOxBの話になっちゃいますけど、彼らもバンド貯金を持ってたらしいですね。

有名なエピソードで、ギターとベースを海外へ送るのに80万かかったっていう(笑)。

M:
インタビューで読みました(笑)。

演奏することはビジネスとみなされるから、楽器を持ってると税関で止められる事があるんです。

その時は「友達の結婚パーティーで演奏する」って答えろ、って言われましたよ。

アメリカ人はパーティーが好きですから、パーティーに対して寛容なんですかね(笑)。

Z:
アメリカって意外とうるさいですね。

お金も現金で100万円以上持ってたら、申告しろどーのとか。

自分は1回それがバレて、お金を没収されたことがありましたね。

半年ぐらいお金を戻してくれなかったですよ。

M:
半年も返してくれないんですか?

Z:
そうです。

むこうの弁護士を雇ったんですけど、そこで10%ほど引かれて、お金が返ってくる時にも10%の手数料を取られて、結局50万円ぐらいしか返ってこなかったですよ。

M:
ええ〜!

Z:
だから、きちっと申請しないとヤバいですよ。

まあええやろ、って思ってたらえらいことになりますからね。

2時間ぐらい別室に放り込まれましたよ。

そういえばBREAKfASTのジャケットでひとつ聞きたかったんですけど、BLACK FLAGのジャケを描いてる人のものがありますよね。

M:
ええ、RAYMOND PETTIBONが描いたヤツですね。

あれはかなり反応がありましたね。

Z:
あのジャケは、どうやって描いてもらったのですか?

M:
BLAC FLAGのBとFでBREAKfASTになったぐらいですから。是非頼みたい!って酒井君が言ってて。酒井君は本当にBLACK FLAGが大好きで。

その頃RAYMOND PETTIBONは現代アートの巨匠みたいな感じで、すでに有名になってました。

何かの雑誌のインタビューで、昔みたいにHARDCOREのジャケットで絵を描くことはやらないのか?っていう質問に対して、

『頼まれてないから描かないだけで、頼まれればいつでも描くよ』

って答えてたそうなんですよ。

その記事を酒井君が読んで、RAYMOND PETTIBONが個展で来日した時に、頼めば描いてくれるはずだ!って、その来日のタイミングで頼みに行ったんですよ。

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Z:
おお!

すごい展開ですね。

M:
個展やってたのがすごくでっかい美術館だったんですけど、そこへ行ったんです。

ドラムの陽君はアメリカ留学していたから英語が話せるし、陽君と酒井君と僕で頼みにいこうよ!ってなったんですけど、

『どうせ無理だから、イヤだよ...』

って陽君が言うんですよ(笑)。

Z:
否定的ですね(笑)。

M:
唯一、英語ができる人間が、行きたくないっていう(笑)。

だから、代わりに英語が話せる太郎って友達を連れて行ったんですよ。

Z:
ええ?

結局、陽君は行かなかったんですね(笑)。

M:
そうなんですよ。

だから、僕と酒井君と太郎と、3人で行きましたね。

でも会場にはRAYMOND PETTIBON本人がいなくて、

『もうちょっとしたら、帰ってくると思いますよ』

って受付で言われたから4時間ぐらい待ったのかな。

でも帰ってこなかったんですよ。 

しょうがないから英語で、"僕たちBREAKfASTっていうバンドなんですけど、今度アルバムを出すので、絵を描いてくれませんか?"っていう内容の手紙を書いて、7inchの音源と一緒に受付の人に渡してきたんですよね。

そしたら後日、RAYMOND PETTIBONから返事がきたんですよ。

Z:
それはアツいですね!

M:
ぜひ描かせてくれ!って感じで。

そこからけっこう待たされたんですけど、書き下ろしが3枚届きました。

Z:
おお!

届きましたか。

M:
ほんとにやってくれるんだ!って興奮しましたね。

そういえばCirkle JerksのKeith MorrisがやってるニューバンドでOFF!ってのがあるんですけど、その音源のアートーワークもRAYMOND PETTIBONが描いてるんですよ。

いくつかある絵の中で、BREAKfASTのジャケットだった絵も使われてて驚きました。

Z:
(爆笑)!

ボツネタをですか?

M:
いやいや、BREAKfASTのファーストアルバムで、がっつりジャケットに使った絵がモロに使われてました(笑)。

Z:
えええ〜!!?

それダメですね(笑)。

M:
まあ、ペティボンらしいですけどね(笑)。


Z:
いい話ですね(笑)。

M:
でしょ(笑)。

OFF!は、いまかなり有名みたいですから、OFF!が好きな人がBREAKfASTのTシャツ見て驚くかも知れませんね。

Z:
レッチリのアンソニーもOFF!のキャップを被ってましたね。

タワーレコードの視聴機に"アンソニーが被ってた帽子のバンドはコレだ!"って書かれてましたよ。

そりゃ、なんの説明だ?って思いましたけど(笑)。

M:
関係ないですもんね(笑)。

Z:
それにしても、ジャケットの流用はちょっとショックですね。

M:
数年前の話になりますけど、いま思い出すとおもしろかったですね。

Z:
使い回してたっていうオチがヤバいですね(笑)。

M:
そのRAYMOND PETTIBONのジャケで最初のアルバムを出してからは、色んな場所で誘われるようになりましたね。

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怒濤のアメリカツアーを終えて、結束が固まったBREAKfAST!

Kemmy君のBREAKfAST初ライブがアメリカというのもすごい話です!

そして、RAYMOND PETTIBONに依頼したデザインが、まさかの流用!!

それを笑って吹っ飛ばす森本君の器量にも、アッパレです!!!

次回はいよいよ最終回!

BREAKfASTの近況と今後についてたっぷりと語っていただきます!

次回更新日は12月12日月曜日です!

MORIMOTO其の二

11/11/29

バンドメンバーが移り変わり、新生BREAKfASTの誕生!

そして!

日本を飛び出し、驚愕の爆走アメリカツアーへ!

スケボー話も交えつつ、笑いのエピソードたっぷりでお送りします!!!

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Z:
BREAKfAST結成当初はベースも今と違う人ですよね?

M:
岡君です。もともと彼は別のバンドをやっていて、OAC時代によく対バンしてたんですよ。

Z:
そうだったんですね。

M:
岡君がやっていたのはLESS TALK MORE ROCKっていうバンドで、いいネーミングですよね。

そのLESS TALK MORE ROCKとOACが合わさって、BREAKfASTができたんですよ。

Z:
なんか、流れを聞いてると、かっこいいですね。

M:
実際は、そうでもないんですけど(笑)高円寺の居酒屋で打ち上げしている最中に酒井君から言われて(笑)。

いや〜、でもこうやって振り返ってみるとキラッキラした時代でしたね。

Z:
いま話してた一連の流れは、22歳ぐらいの出来事ですか?

M:
そうですね。

僕は大学に通ってたんで、大学が終わってからライブを観に行くっていうのが、習慣でしたね。

Z:
当時はどの辺に行ってたのですか?

M:
西荻のWATTSだとかですね。

eastern youthとかやってました。

Z:
eastern youthもメチャクチャかっこいいですよね。

M:
ええ、かっこよかったです。

あ、いや、今もかっこいいです(笑)当時もすごく格好よくて。

だから音楽の経緯は、中学の時はHIP HOPをずっと聴いてて、高校からHARDCOREを聴くようになって、大学でWATTSに行ってライブを観るようになって、大学卒業の頃にバンドを結成って感じです。

だから、かなり逆行してます(笑)。

Z:
ふつうは大学卒業して、バンドやめますもんね(笑)。

M:
いま話してみて、改めて思いましたけど、まったく世間と逆ですね。

バンドを始めてからは、とにかくless than TVの人たちとの出会いが大きかったですね。

本当に面白かったです。

Z:
どういうきっかけでless than TVの人たちと仲良くなったのですか?

M:
対バンをたまにしているうちだんだん話すようになって、仲良くなってきたかな〜って思った頃に
谷口さんが、

『30歳になった記念にスケボーをはじめたい』

って急に言い出したんですよ(笑)。

Z:
おお!いいですね。

それもまさに逆行してます(笑)。

M:
いまだったら30歳でスケボーやっててもふつうですけど、その頃は若い子がやってる遊び、みたいなイメージも強かったから。

Z:
そのスケボーのチームが中沢ですか?

M:
そうそう、中沢スケート・ソサエティーです。

Z:
なぜ、そういう名前になったのですか(笑)?

M:
谷口さんや河南さん、あとノリさんたちと一緒にスケボーをやりはじめたら、すぐにチームを作る!って話になったんですよ。

僕は昔からスケボーをやっていたけど、そういう発想をしたことがなかったんですよ。

スケボーは友達とやるものとしか思っていなくて、チームを組んだり、自分たちの集まりに名前を付けたり、っていう考えが浮かばなかったんです。

だから、初めはチームを作るってことに、びっくりしましたよ。

でも考えてみるとバンドっぽい発想ですよね。

楽器が弾けるようになったからバンド組もうぜ!みたいな。

less thanの人たちはバンドから入ってるから、そういう考えになったと思うんですよ。

そういうノリがすごくかっこいいなって感じましたね。

Z:
その頃、ノリ君はNUKEY PIKESでした?

M:
いや、もうやってなかったです。

Screwwithinを組んだ頃じゃないですかね。

その頃は、ほんと楽しかったです。

毎週のようにWATTSでライブをやって、終わってからみんなでそのままスケボーに行って、みたいな。

less thanは、お酒を飲む人が少ないから、打ち上げ代わりにみんなでスケボーをやりに行くのがお決まりのコースでしたね。

Z:
その頃、森本君は何歳ですか?

M:
23〜24歳ぐらいですね。

いま仲が良い人たちの多くも、その頃に出会いましたね。

ジョージ君とか373君とかソウジロウとか。

Z:
はいはい、元ONEの373君ですね。

昔、ライブで呼んだことがあるんですよ。

M:
そうですよね。

Z:
あのバンドすごく良かったです。

ただ、EYEちゃんってすぐにやめますからね(笑)。

M:
そうなんですね(笑)。

ちょうどその頃、Wheel Magazineっていうスケボーの雑誌が創刊されたんですよ。「sb」の前身となった雑誌なんですが。

僕とドラムの陽君がそこで1ページ担当することになったんですよ。

Z:
連載ですか?

M:
そうですね。

アメリカのThrasher Magazineっていう雑誌は、スケボーの雑誌だけどバンドも多く取り上げてたんですよ。

Z:
LIP CREAMとかも出てましたもんね。

M:
はい。

それで、せっかくスケボー雑誌でやらせてもらえるんだから、そういうのをやろう!っていう話になって、いろんな人にインタビューをやりましたね。

Z:
へえ〜、そうなんですね!

M:
すっごく楽しかったんですけど、読者アンケートは最下位でしたね(笑)。

"スケボーのことだけを載せてほしい"みたいなことを書かれて。

Z:
悲しい感じですね(笑)。

M:
10年後に読み返したら、分かるはずだ!って思って頑張りましたよ。

Z:
何事も早過ぎると寂しい想いをするんですよね。

M:
そうかも知れないです。

Z:
ちなみにどういった人たちをインタビューしたのですか?

M:
最初にインタビューしたのは河南さんです。それと谷口さんの30歳がきっかけで、一緒にスケボーするようになるんですが。

あと伝説のスケートショップ、Violent GrindのKUROさんもやったり、とにかく周りにいた人みんなをインタビューしましたね。

ちょうどその頃、ノリ君がRISEに入った頃でしたね。

Z:
ああ、あの頃ですね。

あれはなかなか大変でしたよ(笑)。

レコーディングに○百万かかる、みたいな。


M:
大阪へ行くと超楽しかったです。

Z:
BAD BRAINSの時ですよね?

M:
そうです、MOTHER HALLで。

Z:
あれも大変でしたよ〜(笑)。

テツロウ君とノリ君ですから、メンツ的にはすごく良かったんですけどね。

モツ君とヤンボーがやめたから、その穴は完全にふさがるだろうって思ったんですけど、化学反応が起きなかった(笑)。

まさかの空中分解しちゃいましたよ。

テツロウ君なんかは、レコーディング途中でやめるって言い出しましたから。

M:
そうだったんですね。

Z:
レコーディングが終わって、作品がリリースされる頃にはやめてましたよ。

当時はVOLUME DEALERSがR.F.D.に入るなんてありえない!って感じで盛り上がってたんですけどね。

M:
そういえば、大阪ではけっこうバイオレンスなことも目の当たりにしましたね(笑)。

そういうのを見て、俺たちまだまだ甘いんだな〜って思いました。

Z:
いやいや、そんなことないでしょ(笑)。

シバいてるほうがヤバいです。

でも、殴り合いがはじまるとか、しょっちゅうでしたよ。

あれ〜?

またやってる、みたいな。

M:
BREAKfASTのライブでは、そういうのが1回もなかったんですよ。

Z:
ないほうがいいですよ。

M:
まあ、そりゃそうですけど(笑)。

Z:
自分がやってたイベントでは、よくあったんですよ。

誰も止められなくなって、最終的に自分のところにくるんですけど(笑)。

またっすか!?もうやめましょうよ,みたいな。

Breakfirst002.jpg

M:
そうなんですね〜、自分たちはそういうのにほんと無縁でしたね。

で、そんな感じでのらりくらりとバンド活動をやってたら、ギターとベースがやめちゃうことになったんですよね。

Z:
バンドとしてはじめての挫折ですか。

M:
そうでしたね〜。

でも、すでにアメリカツアーが決まってて、行かなければならない状況だったんですよ。

それでKemmy君にギターを頼んで、ベースはケイスケでって感じで。

少し前にベースは岡君からケイスケに変わってたんですけど、ギターをとにかくヘルプで入れて、間に合わせなきゃいけなかったんですよ。

でも、バンドに入ってもらって、いきなりアメリカツアーなんて行けないじゃないですか。

Z:
かなり厳しいですよね。

M:
それがKemmy君は、ぜんぜんOKだったんですよね(笑)。

ほんとツアーの直前の誘いだったんですけど、大丈夫でした。

Z:
Kemmy君は、余裕だったのですか?

K:
無職でしたから(笑)。

でも1ヶ月で20曲ぐらい覚えさせられましたね。

Z:
SxOxBもそんな感じでしたよ(笑)。

K:
インタビューを読んだらそうでしたね(笑)。

Z:
しかも、2枚目までヘルプメンバーだったし(笑)。

M:
あれは衝撃でしたね〜。

Z:
自分もメンバーだと思ってたんですけどね。

Kemmy君と一緒で、急ぎで20曲ぐらい覚えさせられたって言ってましたよ。

M:
HARDCOREって、そういうのが割とありますよね。

Z:
できるやろ!みたいなノリですよね。

M:
そうそう、そういうところが楽しい部分です。

Z:
それで、アメリカツアーはどうでした?

M:
アメリカツアーは...

とにかく疲れましたね。

K:
森本君は、まったく寝れてなかったですよ。

M:
13日間でライブが19回あったんですよ。

Z:
ええ!?

2回の日が多いんですね。

M:
しかも、1日の移動距離が1000キロぐらいあるんですよ。

早起きして8時間ぐらい車に乗って、到着したら即ライブです。

Z:
東京・大阪間を往復するぐらいですね。

M:
同じぐらいの距離ですね。

それで1回目のライブが終わったら、また1時間移動して次のライブっていう感じでした。

Z:
一緒にツアーを回ってたバンドは平気だったのですか?

M:
これがまったく余裕なんですよね。

Z:
やっぱりアメリカは広いですね(笑)。

M:
アメリカ人の体力って、すごいですね〜。

あと、アメリカの水道水は飲まないほうがいいのかな?って思ってたんですけど、一緒に回ってたアメリカ人のバンドは、水筒を持っていって、トイレの水をガンガン入れて飲んでるんですよ。

Z:
ええ〜!?

M:
僕は怖くてミネラルウォーターしか飲めなかったですね〜。

水道水を飲めるのは、日本だけだと思ってましたから。

さすがにトイレの手を洗う水は、ちょっと飲めないですよ。

Z:
それって、ふつうは飲んだらダメな水でしょ?

M:
そうですよね。

トイレの水ガンガン飲んでパワフルなライブをやるから、アメリカ人ってタフだな〜って思いましたよ(笑)。

Z:
そんなことされたら、もう無理ですね。

アメリカではどういった所でライブをやったのですか?

M:
人の家のガレージとか、あとボーリング場のレーンの上、なんてのもありましたね。

Z:
すべりますやん(笑)。

M:
そこはレーンの上にベニヤ板でステージを作って、その上でライブやるっていう形だったんですよ。

3レーン分はライブやってるけど、その横のレーンではお客さんがふつうに玉を投げてるって状況でした。

Z:
それ、おもしろそうですね!

M:
かなりおもしろかったですよ。

Z:
ボーリング場でライブなんてできるんですね。

日本じゃ無理ですもんね。

M:
しかも出演してるバンドは、玉を投げ放題なんですよ(笑)。

だから待っている間は、ずっとボーリングしてましたね。

Z:
それはボーリング場が主催ですか?

M:
たしか、ボーリング場で働いている人がHARDCORE好きだったんですよね。

Z:
アメリカらしいですね(笑)。

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13日間で19回のライブを体験し、アメリカ本場仕込みのタフネスを吸収したBREAKfASTは、さらにパワーアップ!

音楽とスケボーにも拍車がかかります!

次回も引続きアメリカツアーのエピソードをお送りしつつ、作品のデザインについても突っ込んでみたいと思います!

どうぞお楽しみに!

次回更新日は12月5日月曜日です!
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