ZERO MAGAZINEインタビュー!
MURASAKI君、いよいよ最終回!
どっぷりとレゲエに染まったMURASAKI氏は、現場で大役を仰せつかります!
そして、大阪で安住の地を求めた...
と、思いきや!
まだまだ飛びます遠くまで!
止まることを知れず西へ東へ遊牧のごとく大移動!
Z:
Rottonは大学を出てますからね。
M:
自分的にも彼からいろいろ学べたのが大きかったです。
そんなこんなで、俺は担当がHIP HOPだけど、遊ぶ所はレゲエみたいなスタンスで働いてました。
そこから徐々にレゲエと深く関わっていったんですよね。
ある日、Rottonに、
『REBEL MUSIC CAMPっていうのをやるんやけど、ロゴを作ってくれへん?』
って言われたんですよね。
よっしゃ!
出番きた!
ここや!
スーパーカー消しゴムの色塗りと一緒や!
と、腕の見せどころになったんですよ。
Z:
Rottonは喜んでくれました?
M:
どう?ってデザインを渡したら、
『バッチリや!』
って喜んでくれましたね。
それがきっかけで、イベントのポスターや、カセットテープのジャケットなんかも作るようになったんですよね。
さらに...
『MURASAKI君、BOBOスタイルのRASTAってな、旗振りっていうのがおんねんけど、旗振り部隊が必要やねん。やってくれへんか?』
って頼まれて!
やるよ〜俺〜!クニちゃん〜っ!!!
って引き受けました。
Z:
自分は、その旗振りを見たことがありますよ(笑)。
たしか京都のイベントだったと思うんですけど、MURASAKI君が思いっきり旗を振ってました。
この人...
何してんねやろ?って思いましたよ(笑)。
なるほど、そういう理由だったんですね。
M:
そうなんですよ。
『旗振りっていたら、めっちゃシブいねん!』
って言われたから俺も、
ぜひ〜っ!!!
ぐらいのノリで(笑)。
Z:
そういうのを知らなかったから、てっきりMURASAKI君が酔っぱらって、テンションが上がってしまって旗を振ってるのかと思ってましたよ(笑)。
M:
ちゃいますよ(笑)!
超真剣でしたから。
Z:
当時、レゲエのイベントで2階に通されて上から眺めてたら、MURASAKI君がえらい勢いで旗を振ってたんで、あんなキャラやったっけ?って不思議に思ってたんですよ。
あのCISCOの人、テンション上がりまくってんな〜って(笑)。
M:
その旗についても、
『MURASAKI君、BOBO RASTAっていうのはな、宗派が違って緑色が下やねん』
って力説されましたね。
Z:
そういえば一度、Rottonの家へ行ったときに、RASTAに傾倒しつつあった後輩を連れていってたんですけど、最初はいい感じで酒を飲んでたのに、最後はRASTAの話でRottonと1時間ぐらい言い合いになってましたからね(笑)。
自分はRASTAのことを何も分かってないから、その間に挟まれてめちゃくちゃ辛かったですよ。
連れて行った後輩は有名なテキトー野郎で、ウィキペディアでしか情報を得てないような奴だったんですよね。
ウィキペディアってリアルじゃないでしょ?
それなのに、自分はさもRASTAと言わんばかりに力説をはじめたんですよ。
一方のRottonは賢いし、本もよく読んでるから、その言い合いを聞いてても、明らかにRottonが正論なわけですよ。
レゲエ歴も20年ぐらいやってるから当然、筋金入りですよね。
だから、後輩にお前はもうだまれ、と。
どうせウィキペディアやろ?って聞くと、
『ま...まあそうっすけど...』
って感じなんですよ。
お前の言い分もわかるけどもうやめとけ、ってなだめましたね。
そんなバトルがあったくせに、最終的にはSEX PISTOLSの"Anarchy In The U.K."のDVDをRottonとその後輩2人で観て、めちゃくちゃ盛り上がってましたけどね(笑)。
『やっぱりSEX PISTOLSやな!』
とか言いながら。
RASTA関係ないやん...
みたいな(笑)。
M:
(爆笑)!
そのオチ、やばいですね。
で、旗の話なんですけど、緑色が下になってて星の付いたものが欲しい、と。
これが探してもぜんぜんないんですよね。
Z:
描いたらよかったんじゃないですか?
M:
そのときは、描いたり印刷するっていう発想がなかったんですよ。
だから、ひたすらCISCOの休み時間にアメ村にあるレゲエっぽい店に行っては、旗探しの毎日でしたね。
でもある日、緑色が下になってる旗を見つけたんですよ!
BIG STEPの隣りにピエロの顔の建物のTOM'S HOUSEってあったでしょ?
あそこの地下にあった雑貨屋のお香のディスプレイケースに、ピロッて緑色が下になってる旗が見えたんですよ。
うっわ〜!クニちゃん!見つけたでぇ〜!!!
み、み、緑色が下になってるで〜!
って興奮したのを憶えてます(笑)。
すぐにお店の人に、この旗を売ってください!って言うと、
『いや、これはディスプレイやから売られへん』
って言うんですよ。
それでもあきらめずに、これが絶対欲しいんです!って食い下がったら、何とか売ってくれました。
Z:
高かったですか?
M:
2〜3000円ぐらいだったかな。
Z:
めちゃくちゃいい人ですね!
M:
クニちゃん!GETしたぞ〜!
ってさっそく持って帰ると、
『よっしゃー!でかした!』
って喜んでくれましたね。
もう、それからは得意になって、グイーンッて旗を振ってましたよ(笑)。
『MURASAKI君、次は名古屋でライブなんやけど』
って言われたら、有給休暇を使って名古屋まで旗振りに行ってました。
そのときに、
『今日はな、MURASAKI君もターバン巻きや』
って言われて、
ええ!?俺も巻いていいんスか!!!
って感じで(笑)。
Z:
ヤバいですね(笑)。
そうですか、酔っぱらって旗を振るんじゃなくて、仕事で振るわけですね。
たいへんなことをやらされてますね(笑)。
M:
やらされるっていうか、やらせてください!って志願してましたよ。
振りたいっス!!!
みたいな(笑)。
Z:
完全に洗脳されてますね(笑)!
M:
洗脳ですか、これは(笑)!?
Z:
だって、最初に『RASTAとはな...』って説明されてるわけでしょ。
M:
うん、うん、そうか(笑)!
ジャー!
って言われたら即、
ラスタファーラ〜イ!!!
って答えてましたよ。
僕たち、本気っスから。
そういえば、この前にJr GongとNASが来て、旗振り部隊もいたんですよ。
みんなが旗振りヤバい!って言ってたんですけど、そこでやっと俺が旗振りをやってたことを公言して脚光を浴びるときがきた!って思って嬉しかったですね。
一緒に観てた人たちは、
『あの旗持ってた人、ずっと振ってたな』
って話てるのを聞いて、俺もずっとRotton Ranksの横で振ってたし!って得意げになれましたよ(笑)。
Z:
ところでMURASAKI君って、CISCOがアメ村に移るときのフライヤーで絵を描いてましたよね?
あのフライヤーのWu-Tang Clanの絵を見て、おお!この人の絵はすごいな、って思ったんですよ。
そのときはまだMURASAKI君が描いてるって知らなかったですけどね。
M:
その頃は、本社に、自分はこんなことできます!って事あるごとにアピールしてた時期だったんですよね。
大阪主導でフライヤーを作るってなったときに、作ってみるか?ってことでやらせてもらったんですよね。
そのあたりから、CISCO全体の絵なんかもやらせてもらえるようになって、ちょっとずつですけど、あの人って絵を描くんやって知られるようになっていきましたね。
Z:
CISCOのおもしろエピソードってありますか?
M:
え?っとね、おもしろいかどうか分かんないですけど、当時の渋谷のCISCOには、クボタタケシ君や光嶋君やキタちゃん(KZA)といった業界でもプロとして働いてる人たちがスタッフでいたんですよね。
そんな中で、俺は音楽知識もないし、バックグラウンドもないし、どうしよう...って悩んでたんですよ。
とにかく認められて、自分の居場所を探さなきゃって焦ってたんですよね。
そこで身に付けたのが、値段シールを貼るラベラーってあるじゃないですか。
あれはみんな、ガッシャン、ガッシャン、ガッシャン、って感じで打つんですけど、俺はリズムというか技を見つけて、ガシャ!ガシャ!ガシャ!ってスピーディーに打つことだったんですよね。
あの人のラベル打ちは速い!
っていう地位を獲得しましたね(笑)。
絵よりも先に、あの人にラベル打たせるとすごい!って思われるようになったんですよ。
Z:
MURASAKI君、何回も言いますけど、ほんまにアホですね(笑)。
M:
すんません(笑)。
だから、大量入荷がある日なんかは、
『よし!ここはラベル師のMURASAKI君に頼もう!』
って感じで、ガーッとレコード箱が並ぶ前で、
ガシャ!ガシャ!ガシャ!ガシャ!
はい!はい!
もっと速くしないと追いつくよ〜!
みたいな感じでスゴ技を披露してました(笑)。
Z:
なるほど(笑)。
で、最終的にCISCOを辞めて、種子島へ行きましたよね?
そのときは絵で食べていけてる状態だったのですか?
M:
いや、ぜんぜん食えなかったですよ。
その頃CISCOでは、札幌店がなくなるかどうかっていう状況だったんですよ。
閉店ってなると、札幌店の店長クラスの人たちは、辞めるか東京に行くかっていう選択を迫られるんですよ。
東京へ行ったら行ったで、地方からオッサンが来たっていう感じで現場の若い子たちは、
『オッサン、分かんないくせにさ〜』
みたいな声も聞こえてくるわけですよ。
俺もいずれはあの運命か...って考えると、それは嫌だなと。
それで、別の道を探さなきゃって思って、イラストをがんばる決心をしたんですよね。
仕事から家に帰ると、せっせと作品を描く毎日がはじまりました。
そういう日々を送っていたら、例のRASTAの流れから、
自給自足とか、自然の中で暮らすとか、素敵やん!
っていう意識が生まれてきたわけですよ(笑)。
Z:
Rottonに旗を振らされて、洗脳されたわけですね(笑)。
M:
山や海で住むっていう憧れがどんどん大きくなってきて、田舎暮らしの本を買ったり、旅行先では役場に行って、空き家はないですか?って聞いたり、いろいろ行動するようになっていったんですよ。
ちょうどその頃、FM802のアートコンペを通過したんですけど、同じタイミングで種子島から空き家が出たという連絡も入ったんですよね。
そこで、仕事を辞めて種子島に移住しよう!
って決心したんですよ。
Z:
最終的に東京へ来てるじゃないですか(笑)。
M:
まあ、そうなんですけどね(笑)。
田舎暮らしをしてはみたんですけど......
Z:
まだ早かったでしょう?
M:
そうなんですよ!
あの頃はまだ32歳でしたからね。
Z:
MIGHTY JAM ROCKを描きはじめたのは、種子島に行ってからだったのですか?
M:
移住する前から描きはじめてはいたんですよ。
最初、KAERU STUDIOの麻苧君が声をかけてくれて、RED SPIDERのテープのジャケとかをやらせてもらってましたね。
MIGHTY JAM ROCKも、CISCOにいるときからちょっとだけやらせてもらってました。
いよいよ種子島に移住するってなったときに、FM802のアートチームからは、
『アートコンペに通ったからって、一人前になれるわけじゃないし、ましてや大阪から離れてしまったら何のサポートもできないから責任は持てないよ』
って言われたんですけど、それでも種子島へ行こうって決めましたね。
一方、MIGHTY JAM ROCK側にも種子島行きを伝えたら、
『ネットとかメールとかあるし、問題ないっしょ!引続きお願いしまーす』
みたいな、拍子抜けするくらい余裕な感じだったんですよ。
それがなんか嬉しかったですね。
種子島に行ってからも、いまほど数は多くなかったけど、仕事があるときは声をかけてくれました。
だから、大阪にいるときと変わらず仕事を振ってくれて、そこからどんどんオファーが増えていった感じですね。
けっこう、まわりのネットとかデザインで働くデジタルな業界の人たちは、田舎に引っ込んだら無理だろ...って意見だったんですけど、超アナログな世界と思ってたレゲエの人たちは、メールあるしいけるっしょ!って反応だったんですよね。
ああ...
助かった...って思いましたよ。
Z:
なるほど、そうだったんですね。
M:
種子島はマイペースで仕事ができて、夕方になったら焼酎飲もっか!みたいな感じだったんですけど、しばらく過ごしてると、もうちょっと挑戦したいっていうか、いつ寝てるのか分かんないようなライバルの多い所に身を置いて、競争したらどこまでできるんやろ?っていう想いが強くなってきたんですよ。
それと、洋服をやってみたいっていう願望も出てきたんですよね。
同じタイミングで、アニメーションをやってみないか?って声をかけてもらったのもあって、行くなら今だ!と。
それでポーンッと東京へ出てきたんですよ。
Z:
なるほど、結局、東京へ来たわけですね。
これでいい感じのフィニッシュですね(笑)。
とりあえず、インタビューを総合して、結論的に申し上げましょう!
M:
なんでしょう?
Z:
MURASAKI君は、かなりアホですね(笑)!
M:
やっぱり(笑)!
Z:
自分はMURASAKI君の事を、真面目でポジティブできっちりしてる、っていう印象だったんですよ。
旗を振るのも、ふだんは真面目に働いててストレスが溜まってるんだろうな、って思ってましたけど、実はまったく違うんですね(笑)。
M:
そうそう、旗振りは志願ですよ(笑)。
Z:
けっこうアレですね。
まあいいっしょ!みたいなノリなんですね。
M:
行き当たりばったりかも知れませんね。
Z:
それを今回のインタビューで感じたし、読者の人も思ったんじゃないですかね(笑)。
M:
たしかに、けっこう真面目なつもりやったんですけど、振り返るとそうでもないですね(笑)。
Z:
だって、バリに行って帰国して家に帰らずに、1週間しか付き合ってない彼女と同棲する奴なんて初めてですよ(笑)。
M:
たしかにむこうの親にも、どこの馬の骨か分からん奴!って言われましたからね(笑)。
ひどいこと言うな?って当時は思ってましたけど、いま考えるとごもっともです。
Z:
親の気持ちになってみてくださいよ。
やっぱり、どこの馬の骨か分からん奴!って思いますよ(笑)。
最後に、今後の展望を聞かせてもらえますか?
M:
まず、去年のMAKIKAESHIが大きな転機で、今まで付き合いのなかったアーティストの人たちと話ことができたのが大きかったですね。
みんなのこだわりや、物を作る姿勢とかいろいろ知れたんですよ。
俺なんかみんなからすれば、何やあいつは?って思われてそうって勝手に思ってたんですけど、ぜんぜんウェルカムな感じで、また一緒に話をしよう!とか、一緒に作品を作ろう!とか言ってくれたんですよね。
その時、物を作るっていうことの原点に戻ったというか、絵を描いたらギャラがいくらで、売れるんちゃうか?じゃなくて、物を作る本質はこのエネルギーや!っていうのを彼らから感じたんですよ。
それがすごく大きかったですね。
レセプションには数年ぶりに会うCISCOのお客さんだった人たちもいっぱい来てたんですよ。
レコード屋時代、自分はお客さんに横柄な態度をとってしまってた部分もあったのに、みんな気さくに声をかけてくれたんですよね。
あのときはすんません!僕、心を入れ替えて真面目に仕事してますんで、よろしくお願いします!
と、改めて挨拶からはじめました(笑)。
Z:
なるほどね(笑)。
M:
だからほんと、去年のMAKIKAESHIで巻き戻りました。
おかげさまで、今はやりたいことがいっぱいですね。
もちろん、MIGHTY JAM ROCKのアートワークに力を注いで新しい物を作っていきつつ、他にもコンピューターを使わないアナログな手法の絵とか、いろいろやっていきたいですね。
会社とかクライアントありきで作品を作るだけじゃなくて、自主的にもやっていきたいなって思ってます。
まあ、気まぐれですから、またフッと...みたいになるかも知れないですけど(笑)。
Z:
それはそれで流動的な感じがいいんじゃないですかね。
了解です!
これでバッチリまとまります(笑)。
どうもありがとうございました!
M:
こちらこそありがとうございます!
ひらめきをそのまま行動に移し、各地を渡り歩いたMURASAKI氏!
そのひらめきと行動力こそが、結晶となって作品に降りそそいでいます!
スーパーカー消しゴムの色塗りであれ、レゲエアートワークであれ、人の喜ぶ顔と自身の創作魂を重んじて物作りに懸ける意気込みは、アーティストの本来あるべき姿と思われます!
いまの東京から果たして次もどこかへ飛び立つのか!?
今後も目が離せないMURASAKI氏の動向を、ZERO MAGAZINEでも追いかけていきたいと思います!
次回の更新日は5月7日月曜日です。